ヴァッスーラから毎日唱えるようにと頼まれた祈り

清めの時の祈り

心優しい御父よ、
この時代をあなたの激しい怒りで打たないでください、
彼らが完全に滅びてしまわないように。
苦しみ悲嘆にくれるあなたの群れを罰しないでください、
水が干上がり、自然が枯れてしまうことのないように。
すべてがあなたの激怒に圧倒され、
跡形も無く消え去ってしまうでしょう。

あなたの息の熱で地上は燃え上がり、
ただの荒れ地と化してしまうでしょう! 
地平線から一つの星が見えてきます。
その夜は破壊され、
灰が冬の雪のように降り、
あなたの民を幽霊のように覆うでしょう。

私たちを憐れんでください、
神よ、私たちを厳しく評価しないでください。
あなたのうちに悦(よろこ)んだ者の心と、
彼らのうちにあなたが悦(よろこ)んだことを思い出してください。
あなたに忠実な者を思い出し、
私たちの上にあなたのみ手を振り下ろさないでください。
むしろ、あなたの憐れみのうちに私たちを引き上げ、
すべての心のうちにあなたの戒(いまし)めを置いてください。アーメン。

天使館・神のうちの真のいのち ニュースブログより

ベネディクト16世、教皇職引退を発表

教皇ベネディクト16世は、11日、教皇職から引退する旨を発表された。

この発表は、同日バチカンで開かれた3人の福者の列聖をめぐる枢機卿会議の席上で、教皇ご自身によりラテン語で宣言された。

ベネディクト16世教皇職引退を発表する言葉は以下のとおり。


親愛なる兄弟の皆さん

わたしがこの枢機卿会議を招集したのは、3人の列福の件だけではなく、教会にとって非常に重要な決断を皆さんにお知らせするためでもあります。

わたしの良心を繰り返し神の御前で確かめた後、わたしの力は、高齢のため、教皇職をよりよく遂行するためにもう適していないという確信を得ました。

この教皇職が、その霊的本質ゆえに、行動と言葉だけでなく、苦しみ、祈りつつ、完成させられるべきであることはよく知っています。

しかしながら、早い変化と、信仰生活に対する大きな問題によって揺れる今日の世界において、聖ペトロの船(教会)を統治し、福音を告げるためには、心身の活力が必要ですが、ここ数ヶ月、自分に託された任務をよりよく遂行するための力がないことが自覚されるほど、その活力が減じてきました。

そのために、この行為の重大さをよく自覚した上で、完全な自由をもって、2005年4月19日に枢機卿たちによってわたしの手に託されたローマの司教職、聖ペトロの後継者の位(教皇職)を引退することを宣言します。これによって2013年2月28日、20時より、ローマの教皇座は空位となり、関係者らによって新しい教皇を選出するコンクラーベが召集されます。

親愛なる兄弟の皆さん、すべての愛と仕事をもって教皇職の重みをわたしと共に耐えてくださった皆さんに心から感謝すると共に、すべてのわたしの欠点をどうかお許しください。

今、聖なる教会の世話を、最高の牧者、わたしたちの主イエス・キリストに託し、その聖なる母マリアに、枢機卿たちが新しい教皇を選ぶまで見守ってくださるよう祈りましょう。わたしについては、将来においても、祈りに専念した生活をもって、神の聖なる教会に心から奉仕したいと思います。

バチカン放送局

『無原罪の聖母』M・コルベ神父のことば集から P16~17 聖母文庫

6 ルルドにおいて聖母はご自分のことを「罪なしに宿った者」とは呼ばれず「無原罪の宿り」と呼んでおられます。聖女ベルナデッタは次のように語っています。「その時、貴婦人がちょうど不思議のメダイに描かれているような姿で野生のバラの茂みの上に立っていました。私が第三回目の質問をすると、貴婦人の顔には真剣な表情が浮かび、その態度には深い謙遜がみとれました。祈るように胸の高さで合掌し、天を仰いでいました。それからゆっくりと両手を広げながら私の方に体を向けました。そして、少し震えたような声で『私は無原罪の宿りです』と答えました。」

 『無原罪の御宿り』という称号は、他の者にではなくて聖母にこそ最もふさわしいものです。ホレブ山においてモーセから「その名は何というのですか」と問われた神は、ご自分の御名を啓示して、「私は在って在る者」(出エジプト3・1~14)と言われました。なぜなら、神は永遠から永遠にいつも存在しているお方であるからです。神の本性はその存続期間やその他のすべての面において何の制限もない存在であるということです。神以外のすべてのものは存在ではなく、存在させられたので、その結果として存在しているにすぎません。ですから無原罪の聖母であっても時において存在し始めたのです。

不思議のメダイ

日本26聖人殉教者の祝日 前晩

殉教者、聖ペトロ・バプティスタ、聖パウロ・三木等二十六聖人
   
 ペトロ・バプティスタ、三木パウロ、茂木ルドヴィコの他、二十三名の司祭・修道士・信者は、1597年2月5日(慶長元年12月19日)、長崎の立山で、十字架上の殉教をとげた。この二十六名のうち、三名はイエズス会、六名はフランシスコ会員であった。
 1862年6月8日(文久2年5月11日)、聖霊降臨の祝日に、ピオ九世によって列聖された。(二級祝日 赤)

主日のミサ典礼書』より ドン・ボスコ社 昭和39年度版

『おとめマリアのロザリオ』福者ヨハネ・パウロ2世教皇の使徒的書簡

教皇ヨハネ・パウロ二世使徒的書簡
『おとめマリアのロザリオ』(ROSARIUM VIRGINIS MARIAE)第三章より 10

35 短い結びの祈り
 最近では、三位一体の栄唱の後に、地域の習慣によって形はさまざまですが、短い結びの祈りを唱えます。こうした祈願に価値がないというわけではありません。しかし、次のことをいっておくのは意味があるだろうと思います。すなわち、神秘の観想は、各神秘の結びに、各神秘に固有の恵みを祈るように工夫することによって、いっそうその豊かな霊的恵みを表すものとなるだろうということです。このようにすれば、ロザリオはキリスト者の生活とのつながりをいっそうよく表現できるようになるでしょう。次に示すミサの美しい祈りもそのことを示唆しています。そこで祈るよう招かれているのは、ロザリオの神秘の黙想を通じて、わたしたちが「そこに含まれているものにあやかり、そこに約束されたものを得る」ことができる恵みです。
 このような結びの祈りには、当然、さまざまな形がありうるでしょうし、実際、すでにさまざまなものがあります。このようにして、ロザリオは互いに異なる霊的伝統、互いに異なるキリスト者の共同体のそれぞれにより適合した形をとることが可能となります。その意味で、司牧的な吟味を経ることが必要ですが、たとえば、特別にロザリオにささげられた聖地や聖堂で試験的に使用してから、すぐれた式文を周知させることは望ましいことだと思います。そうすれば、神の民は、豊かで正統な霊的富の恩恵にあずかり、個々人の観想を養う糧を見いだすことができるでしょう。

『おとめマリアのロザリオ』福者ヨハネ・パウロ2世教皇の使徒的書簡


教皇ヨハネ・パウロ二世使徒的書簡
『おとめマリアのロザリオ』(ROSARIUM VIRGINIS MARIAE)第三章より 11

37 導入と結び
 現在、教会のさまざまな場に応じて、ロザリオの導入として多くの形式が用いられています。ある地域では、次の『詩編』70の冒頭のことばから始めることを習慣としています。「神よ、速やかにわたしを救い出し、主よ、わたしを助けてください」。それは、謙遜に自分の貧しさを認め、糧を与えてくださるように祈り求めるためです。別の地域では、ロザリオを使徒信条(信仰宣言)で始めます。そこでは、信仰告白を、これから始めようとする観想の旅の出発点としています。これらの、また同様の習慣は、観想に向けて心の準備を整えてくれるかぎりにおいて、同等に使用が認められます。そして、ロザリオの結びには、教皇の意向のために祈ります。これは、祈る人が、教会が必要としているあらゆることにまで自分を広く目を向けることができるようにするためです。ロザリオが教会のための祈りであるというこうした側面を奨励するために、教会は、ふさわしい態度でロザリオを唱える人に免償を与えているのです。このようなしかたで祈るとき、ロザリオは真に霊的な道行となります。その道行の中で、マリアは母、教師、また導き手となり、その力強い執り成しによって信者を支えてくださいます。それゆえ、ロザリオを唱え終わり、マリアの母としての愛を深く味わった魂が、心から聖母を賛美したいという欲求を覚えたとしても、なんら不思議はありません。この賛美として、美しい「サルヴェ・レジナ(元后あわれみの母)」の祈り、または聖マリアの連願が行われます。これがロザリオの内なる旅の完成のときだということができます。そのとき信者は、キリストと聖母の秘義との生きた交わりへと導かれるのです。

世界病者の日に特別免償規定

第21回世界病者の日」に特別免償規定

教皇ベネディクト16世は、「第21回世界病者の日」を対象とした免償規定を発布された。

カトリック教会は、毎年2月11日のルルドの聖母の日に「世界病者の日」を記念する。
この記念日は、病者がふさわしい援助を受けられるように、また、苦しむ人々が自ら苦しみの意味を受けとめていくための精神的助けを得られるように、カトリック医療機関をはじめ、社会一般に訴えていくことをその目的としている。

今年の世界病者の日の国際大会は、2月7日から11日まで、ドイツ・パッサウ教区のアルトエッティング聖母巡礼聖堂で開催される。最終日には、今大会の教皇特使、保健従事者評議会議長ジグムント・ジモフスキ大司教によってミサがとり行われる。

内赦院を通して発布された今回の免償規定には、上記の大会期間に、ある一定条件を満たした者に免償が与えられる旨が記されている。免償とは、すでに赦された罪に伴う、有限の罰の免除をいう。これには有限の罰のすべてを免除する全免償と、一部を免除する部分免償とがある。

同文書は、真の信仰を宣言し、その内容を深め、第2バチカン公会議の教えを思い起こすことを目的としたこの「信仰年」において、苦しみのキリスト教的意味を知り、兄弟たちの苦しみを分かち合い、その必要に手を差し伸べるという、教会の教えを改めて確認する大切さを強調。

そのために、教皇は今年の世界病者の日のテーマとして、「善きサマリア人のたとえ」の中のイエスの言葉、「行って、あなたも同じようにしなさい」(ルカ10, 37)を選び、苦しむ人に善を行い、自分の苦しみを通して善を行なうことを学ぶよう願われたと記している。

このたびの規定の詳細は以下のとおり。

A.全免償
「真に罪を悔い改め、通常の条件(ゆるしの秘跡、聖体拝領、教皇の意向のための祈り)のもとに、さらに亡くなった信者の冥福のための祈りを行なうことで、来たる2月7日から11日に、アルトエッティング、または教会の権限によって定められた他のあらゆる場所において『世界病者の日』のために神に祈り求めることを目的とした一つの儀式に敬虔に参加し、主の祈り、使徒信条、そしておとめマリアに対する祈りを唱える信者に全免償が与えられる。」

「病院、または個人の家で、善きサマリア人のごとく、慈愛をもって病者たちを看護し、彼らへの奉仕のために上記の儀式に参加できない信者で、これらの期間、主キリストご自身に対するように愛をもって寛大に数時間病者の看護をした者は、主の祈り、使徒信条、そしておとめマリアに対する祈りを唱え、すべての罪から離れようとする心を持ち、可能な時にただちに前述の条件を果たすことを条件に、全免償が与えられる。」

「病気、高齢、またその他の類似的理由のために上記の儀式に参加できない信者は、すべての罪から離れようとする心を持ち、可能な時にただちに通常の条件を果たす決意の下、上記期間の儀式、特に典礼儀式と教皇のメッセージがテレビとラジオを通して放送される時、これらに精神的に参加し、すべての病者のために熱心に祈り、自らの心身の苦しみを『病者の救い』聖母マリアを通して神に捧げることで、全免償が与えられる。」

B.部分免償
 
「すべての信者は、上記の期間、痛悔の心を持ち、慈しみ深い神に向かって「信仰年」の精神の下、病者を助けるための敬虔な祈りを捧げるたびに、部分免償が与えられる。」

なお、この免償規定は今機会のみ有効とされる。
バチカン放送局より

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免償とゆるしの秘跡
「信仰年」における特別免償規定