'93・12・6+8

私「i Panayia」* が今 ともにいます。 娘よ、イエスが望まれる姿となるよう あなたを自由に形造っていただきなさい。 我が息子、イエス・キリストにその意志を捧げ、あなた自身をすべて差し出すなら主は本当に喜ばれ み旨があなたのうちになされるのです。 こわがらないように。 熱心に働き 主の教会を生き返らせなさい。 みことばにはいのちがあり たゆまず躍動していることを 造られた者たちに気づかせなさい。 イエスに託された十字架を持ち上げるよう あなたの母として、常に励ましていきましょう。 さあ お書きなさい、娘よ:

ギリシア語で「最も聖なる者、聖母」。

どの時代よりもこの日々に 私は信仰を生き返らせ 天のことを思い出させるメッセージを与えてきました。 たゆまず平和を呼びかけ 兄弟どうしの一致と和解のメッセージをひろめています。 私はあなた方が神からどれほど遠ざかっているかを知らせに 天から深い悲しみと涙のうちにまいりました。 神と和解し そして互いとも和解してあなた方の間ではもう差別をしないよう 皆にお願いしに来たのです、
「主の名を呼び求める者は すべて救われるから*」です。

*ローマ書10・12~13。

私は誰をも見捨てたことはありません。 あなた方の最も小さな者にも、神の平和を宣言するために、平和の約束を持って訪れました、そしてこの時代が目を上げ 神を探し求め 神に生けにえを捧げるようにと懇願しています。私が訪れているこの時代は あまりに多くの者が 神のいのちから離れてしまった時代です。 神の真の使徒とは み旨を行う人だと 皆が思い出すように そのために来ました:
          愛するとは 神のみ旨を行うことです。

ヴァスーラ、あなた方の多くを癒すために 私は神に遣わされました、けれど私の呼びかけは 尊ばれず名誉も与えられていません。 あなた方大勢の群れを集め 愛があらゆる掟の本質だと教えるように 至高なるお方から遣わされたのです。 娘よ、今日までも 天からの祝福が無視され 私の霊は悲しんでいます。 神に由来するメッセージの正しさと本質に気づかないまま、今日にいたるまで 人びとは自分たちの考えを押し進めようとしています。 こうしてみことばを狡猾に引き下げ この世の口先を恐れる人間の手で 私の足跡もおおい隠されてしまいました。 私に希望をおき 信頼してさえくれたなら…彼らが拒みつづけている人びとの回心によって はるかに多くの利益を得たでしょうに!
…励みなさい、小さな者よ、主のために、主の完全なご計画をあなたの上に刻むことがおできになるよう。 主はあなた方一人ひとりに これらの質問を投げかける日が来ます:
「隣人を自分と同じように愛したか? 神のみ旨をまだ理解していないのではないか? 平和を維持するために できるだけのことをしただろうか? 敵が飢えている時 あなたの食卓から食べ物を与えたか? 渇いていた時、飲ませてあげたか? 与える時、愛なしに与えるのはなぜか?」と。 私は 祈りを願いました。 あなた方の多くは祈ります、けれど愛なくして。 あなた方の多くは断食します、けれど愛がありません。 あなた方の本当に多くは 私のメッセージについて語ります、けれどその心に愛が欠けているので従う人はほとんどいません。 あなた方は身を低くかがめ 掟の文字に従います、けれどその心を理解してはいません。 あなた方の多くは 一致を口にします、ところが愛に欠けているのでそれを実行に移す人びとを まっさきに非難します。 お願いしているすべてを 愛なしに実践しても、まだ闇の中にいるのです。
まだ戦争に組し 平和の味方ではありません。 あなた方は自分が何でも知っていると思い込んでいます、しかし実際には何も知らないのです。 あなた方は皆 互いに部分なのですから、和解を呼びかけました、しかし私の声は聞かれていません。 今日までも 皆に呼びかけています:

         私のメッセージを生きて下さい!

神のうちに、その愛のうちに自らを新たにし 互いにどう愛し合うかを学びなさい。 善良で 聖となりなさい! 架空の願望を追って、自分を欺かないように、小さな子どもたちよ。 愛とは、真理のうちに生きることです。 「持ち物を一つずつ、全部与えていくとしても、火に投げ込まれるために 身を相手に渡したとしても、愛なくしては、何の益にもならない」という言葉を読みませんでしたか? あなた方のたっと一人でも傷ついているなら キリストのからだ全体が傷つき ともに苦しんでいることが分からないのですか? 隣人を傷つけるなら 隣人ではなく、キリストのからだを傷つけたことになるのです。 こう言えますか:
「私は畏敬、誠実と愛をもって 神のもとにやってきた」と。
「いつ?」と主はお尋ねになるでしょう、「いつ畏敬、誠実と愛をもって私のもとにやって来たか? あなたは私のからだを傷つけている、私は裁かれ、辱めをうけ、中傷され、偽りによって裏切られた。 軽蔑され、拒まれ、その唇によって すっかり不名誉を帰せられた、そこで、いつ私のもとに畏敬、誠実と愛をもって来たというのか? 私を愛する何かはっきりした証しを与えてほしい」 我が子たちよ、サタンがなぜあなたの弱さにつけこんで 戦いに誘惑したかを理解しなさい。 キリストが飢えて やって来られた時 あなた方は食物を与えませんでした。 喉を渇かせて来られたのに 飲ませてあげませんでした。 よそ者としてやって来られましたが 迎え入れず 好きなようにあしらいました。 我が子たちよ、あなたの愛は 唇から出る単なる言葉であってはいけません、心から溢れてくる何かでなければ。 あなたの愛は生き生きとして 働きかけるものでなくてはなりません。 私がともにいて 助けます。 こう言って あなた方皆を祝福しましょう:

 行うすべてが 愛のうちに、
 真心こめて成されますように ♡