十字架の道行き 第十三留

第十三留 イエズス十字架よりおろされ給う『公教会祈祷文』カトリック中央協議会編 昭和34年度版より

 

 ああキリストよ、主は尊き十字架をもつて世をあがない給いしにより、
 ▲われら主を礼拝し、主を讃美し奉る。

 主はすでに息絶えさせ給いしかば、御体(おんからだ)は十字架よりおろされ給えり。聖母マリアは御(おん)なきがらを抱(いだ)き給い、その御色(おんいろ)ざし、御顔(おんかお)、御手足(おんてあし)、および御脇腹(おんわきばら)の傷を見て、絶えいるばかり嘆き給う。
 ▲主イエズス・キリスト、かくも聖母を嘆かせまつりしは、すなわちわれらなり。ああ罪人(つみびと)なるわれら、いまさらに悔み悲しみ奉る。聖母はわれらのためにいつも母たり給えば、われらはいつも子となりて、忠実を尽すを得しめ給わんことを、ひたすら願い奉る。アーメン。

(主祷文) 天にましますわれらの父よ、願わくは御名の尊まれんことを、御国の来らんことを、御旨の天に行わるるごとく地にも行われんことを。▲われらの日用の糧を、今日われらに与え給え。われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え。われらを試みに引き給わざれ、われらを悪より救い給え。アーメン。
(天使祝詞) めでたし、聖寵充ち満てるマリア、主御身と共にまします。御身は女のうちにて祝せられ、御胎内の御子イエズスも祝せられ給う。▲天主の御母聖マリア、罪人なるわれらのために、今も臨終の時も祈り給え。アーメン。
(栄唱) 願わくは、聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを。
 ▲始めにありし如く、今もいつも世々にいたるまで。アーメン。

 主われらをあわれみ給え。▲われらをあわれみ給え。
 願わくは死せる信者の霊魂、天主の御あわれみによりて安らかに憩わんことを。▲アーメン。
 ああ聖母よ、▲十字架にくぎ付けにせられ給える御子の傷を、われらの心に深く印し給え。

▲:皆で唱える。

聖骸布にもとずく十字架の道行き』モンシニョール・ジュリオ・リッチ著 小坂類治、マリア・コスタ訳(ドン・ボスコ社 1976年刊)より

第13留 イエズスは十字架よりおろされる

 「夕暮れになり、その日は用意日であった。議員で、善良な、正しいアリマタヤのヨゼフという人は、ピラトをおとずれて、イエズスのおん体の引き取り方をたのんだ。そして、イエズスのおん体を十字架からおろした。」(ルカ23・50~53)
 これによると、ヨゼフがイエズスのおん体をたのみに行った時は、夕暮れであった。ローマの法律によると、死体を、死刑になった者の親戚や友人が、うやまいつつ葬ることをゆるしていた。ピラトは、百夫長からイエズスの死去を確認したのち、埋葬のため、おん体を渡した。聖なるおん体は、まず、足の釘を抜かれ、両手はまだ釘づけられたまま、横木を柱からはずされ、十字架からおろされた。アリマタヤのヨゼフが自分の墓として準備していた所に、イエズスを埋葬しようと、そばに移された。
 血ではっきり物語る聖骸布は、2つの興味を引く点を示し、細やかな描写で、どのように墓まで運ばれてきたかを理解させてくれる。
 第一は腰に関する証拠である。聖骸布の人の体には、腰の付近に横切る血の流れが見られる。


腰の付近の死後血液の流れ。十字架からおろされ、おん体を平らにしたので流れ出た。

 カルワリオから墓まで運ばれるあいだ、おん体は平らになっていたので血が流れ出たと考えられる。
 血漿を多分に含むこの血の色は、「槍で貫かれた心室での出血の、死後血液の沈殿の結果である。」(ヨルダーノ博士)兵士から傷つけられ(上位部分の血は、槍でひらかれてから、ただちに流れ出たが)下位部分の血は、血管中に残っていたものが、体が水平になったので、当然、脇の傷からどんどん流れ出て、腰の付近にたまった。
 もっと感動を呼び起こす、第2の証拠は、左足に特に見られるものである。イエズスのおん体を運んだ人の指のあとのことである。生存中「循環不全または、死後死体の血液降下によって」(ヨルダーノ博士)たまっていた血が、釘を抜いたとたんに、足の傷から流れ出たものである。血は流れながら、かかとの付近にたまっていたが、そこに、しるしを残している。このしるしは、重いものを持ち運ぼうとして力を入れた指が、力強くまげられて、そこに触れていたと考えられる。(右かかとのほうには、それほどはっきりとはしていないが)左手の小指、薬指、中指が足の裏にさわって、左足の傷から出て、左かかとに流れていた血にかこまれていた。
 聖骸布からはっきりすることは、墓に移そうとした人は、おん体の足のほうを前にして進んでいた。


いっぽうの手の3本の指のあとが残っている聖骸布の人の左かかと。


指のあとの輪郭を忠実に再現すると、この図のようになる。左手の小指、薬指、中指は重いものを握りしめる独特の形をしている。親指と人差し指は、力を入れるために、当然、足の甲のほうにまわっていた。

 ジョット:キリスト伝-キリストの死への哀悼(部分)1304~05年 パドヴァ、スクロヴェーニ礼拝堂 Giotto: Storie di Cristo,Compianto su Crisuto morto, Cappella degli Scrovegni, Padova(世界美術大全集 #10 ゴシック2より)