十字架の道行き 第十二留

第十二留 イエズス十字架の上に死し給う『公教会祈祷文』カトリック中央協議会編 昭和34年度版より

      

 ああキリストよ、主は尊き十字架をもつて世をあがない給いしにより、
 ▲われら主を礼拝し、主を讃美し奉る。

 主は二人の盗賊の間に挙げられ給いしが、人々のために御父(おんちち)天主に向いて『かれらはそのなす所を知らざるによりて赦し給え』と宣(のたま)えり。一人の盗賊はこれを聞きて『願わくは御国(みくに)にいたらん時われを思い給え』と申したりければ、主は『今日(きょう)なんじ、われと共に楽園にあらん』と宣えり。また十字架のもとに聖母(せいぼ)及び御弟子(みでし)の立てるを見給いて、御母(おんはは)に向い『女よ、御身の子ここにあり』と、また聖ヨハネに向いては『なんじの母ここにあり』と宣い、やがて『事(こと)終りぬ』と宣いて、息(いき)終(た)えさせ給えリ。その時、日はなお高かりしが、世界にわかに夜の如く暗くなりぬ。
 ▲主イエズス・キリスト、主の死し給える時に当り、地は震(ふる)い、日は暗み、墓は開け、死人はよみがえり、岩は裂く。われらこれを思いて心にいたく感ずる所なくんば、きわめてかたくななる者なり。これによりて、今よりわれら再び罪を犯さず、主と共に、この世に死するを得しめ給わんことを、ひたすら願い奉る。アーメン。

(主祷文) 天にましますわれらの父よ、願わくは御名の尊まれんことを、御国の来らんことを、御旨の天に行わるるごとく地にも行われんことを。▲われらの日用の糧を、今日われらに与え給え。われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え。われらを試みに引き給わざれ、われらを悪より救い給え。アーメン。
(天使祝詞) めでたし、聖寵充ち満てるマリア、主御身と共にまします。御身は女のうちにて祝せられ、御胎内の御子イエズスも祝せられ給う。▲天主の御母聖マリア、罪人なるわれらのために、今も臨終の時も祈り給え。アーメン。
(栄唱) 願わくは、聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを。
 ▲始めにありし如く、今もいつも世々にいたるまで。アーメン。

 主われらをあわれみ給え。▲われらをあわれみ給え。
 願わくは死せる信者の霊魂、天主の御あわれみによりて安らかに憩わんことを。▲アーメン。
 ああ聖母よ、▲十字架にくぎ付けにせられ給える御子の傷を、われらの心に深く印し給え。

▲:皆で唱える。

聖骸布にもとずく十字架の道行き』モンシニョール・ジュリオ・リッチ著 小坂類治、マリア・コスタ訳(ドン・ボスコ社 1976年刊)より

第12留 イエズスは十字架上で息を引きとる

 イエズスの臨終が3時間も継続したことは、足の釘に力を入れながら、背のびする可能性が充分あったようなやり方の十字架刑の方法からも理解される。このようにして、突然の窒息を避けられ、話したり、叫んだりでき、もちろん長時間に及べば苦しくなってきたけれども、だいたい普通の呼吸ができた。この判断は、左手首から出ている2すじの血の流れ方を幾何学的に考察してみると目を見はるほどはっきりしてくる。
 この考察から、2つの異なった姿勢がわかる。ひとつは、うち沈んだ姿勢であり、もう一つは背のびした姿勢である。
 前者は、腕にぶらさがっている。最初の血の流れの方向と、左腕との角度を測ると、これがわかる。
 後者の姿勢では、この時の血の流れの方向は、同じ釘の穴から出た最初の血の方向と35度の角度のひらきがはっきりしている。

 腕を回転させるような動きの結果、十字架の横木と摩擦して手首の付近にひどい挫傷が生じた。この動きの支点は、2つの釘になっていて、腕を一元てことしていた。
聖骸布の人の手に行われた回転運動を理解するには、2つのことを忘れてはならない。そのひとつは、背のびの姿勢では、両方との重ねて釘づけられた足の解剖学的様態によって、体は前につき出されていた。もうひとつは、右腕は、まがっていたので、体が右よりになっていたため、回転運動がはげしくなっていた。

  
釘を中心にして旋転運動が生じ、左(S)、右(B)の掌には大きな打ち身が生じた。

 以上のことを推定すると、つぎのことがはっきりしてくる。すなわち、手の甲が表面の粗い横木と擦れ合って、打ち身(その上裂傷)ができたこと。また、両手の打ち身の位置の相違がわかる。左手は、主として、中指と人差し指の間に打ち身が見られ、右手では、手の甲の部分にあるが、主として小指と薬指のほうにみられる。事実、体が前のめりになると、手には2つの異なった結果をもたらす。右手首に力がかかって、右肘の角度が変わり、上述の部分に力がかかってくる。

  
十字架上での、のびあがりと、うつむきの時の2つの主な動きを軸測投影法で図解するとこうなる。

 キリストの死に立ち合った聖ヨハネが、最後の瞬間について、「おん頭を垂れて、息をひきとられた」(ヨハネ19・30)と述べる時、検討すべき主要な要素を示している。主として腕だけでぶらさがっている人にとっては、胸鎖乳突筋がひきつって、頭が前に垂れることは構造上ありえないことである。間接的ではあるが、確実性のある証明は、最後の瞬間にのびあがっていた。このことは、なぜイエズスは死の瞬間、大声を出し得たかを説明してくれる。窒息死しようとする人にとって、このことは不可能なことである。これはまた、聖骸布の証明とも合致する。事実、聖骸布の人は、最後ののびあがりの状態で停止して、聖ヨハネと他の福音史家の診断にみられる「おん頭をたれ」「大きな声を立て」ということに合致する。「大きな声」の前に、福音書は主のおん口より、他の言葉が出たことを記している。
 聖骸布を丹念に観察してみると、背のびの状態に関する他の事柄がはっきりしてくる。背のびの時には、体全体が、そしてもちろん頭もひと所に右のほうに移行する。はっきりした証拠は、右腕の血の流れは、腕にそって肘にかたまりついている。(これは、腕が垂直かそれに近い状態であったことを示す。)また、頭からの血の流れ(頭にある3つの棘から開かれた傷)と口の右のほうからの流れは、興味を起こさせる。話をするには口を開かねばならなかったのだから。

   口の右側より血と唾液が流れる。

 聖ブリジッタがいうように、「開かれ、血に満ちた口」をちょっと、想像してみよう。目をとじて、このことを観想するように心して、目を開いて聖骸布の上に残された印を観察すると、腕の上に頭はうなだれ、その口は気品をもって閉じられたまま、もはや永遠のいのちのことばをいうために開かれることはなかったが、その口のかたわらから流れ落ちる血と唾液は、どれほど多くのことを語っていることだろう。イエズスは、最後の神的な遺言をゆっくりと力強くいい残すのである。
「父よ、彼らをゆるしてください。私は渇く。」(ヨハネ19・28)
「婦人よ、これがあなたの子です。子よ、これがあなたの母です。」(ヨハネ19・26~27)
「私の神よ、私の神よ、なぜ私をお見捨てになったのですか。」(マタイ27・46、マルコ15・34)
「今日、あなたは、私とともに天国にあるであろう。」(ルカ23・43)
「すべては、なしとげられた。私の霊をみ手にゆだねます。」(ルカ23・46)
 口から腕の下までの部分の長さを測ると、み頭をうなだれていたことが容易に証拠立てられる。胸の下から18センチを測ると胸鎖関節に達し、あと9センチが残る。(かぎ型になって7センチである)これは口までとどくのである。この長さこそ、あごの下から口までである。これは墓の中でもおん頭がうつむいていたという感動的事実を説明している。事実、普通に口から胸骨と鎖骨の付け根まで垂直に立って頭をたれて測ると17~18センチである。(もし布を首にそっておけば約12センチ長くなる。)
 聖骸布には、首のないまま頭がついている。キリストの真の姿を再現して描くのは、聖骸布にあったような古代の「マンディリオン」(7~11世紀)のとおりである。
 以上のことは、「あたまをたれて」(ヨハネ19・30)息絶えたとイエズスについて福音史家が話す時に、この事実が一致し、確証されてくる。「死後硬直」は、死後すぐに生じたので、弟子と婦人たちは、墓におさめるのに頭をむりにはなおさなかった。

イエズスは十字架上で死去する

 聖骸布を調べていくと、「十字架」の刑罰を静的な事がら(死骸を包んだ)だけを証明していくだけでなく、細密な検査によって印されている。ダイナミックな事実、すなわち、聖骸布の人は、臨終のあいだ、窒息を避けるために、どのような動きをせねばならなかったかをも、はっきりと証明する。これは、のびあがったり、ぶらさがったりという動きを示している。そして、この動きは、ポンシオ・ピラトのもとで苦しみを受けた、神であり、人であるイエズスであった聖骸布の人の死因は、なんであったかを医学的に調べるのに新たな光を与えてくれる。
 これは、聖骸布の人にとって、単に手でぶら下げられていただけでなく、それとともに、足の釘をてこにして、のびあがる可能性が充分にあったことである。足をまげたまま、十字架につけられたので、身体を上に押すことによって、窒息を避けることができたのである。さもなければ、10分後には窒息がおとずれていたことだろう。ハイネック博士の証言によると、第一次世界大戦の捕虜の刑罰で、棒に手でぶらさげたら、そのようになった。

 ] 脇腹の傷。
上部に槍の穴(4センチ)がみられ、ここから血と水が流れ出ている。聖骸布には空気に触れて凝固した血が淡い色の液でかこまれているのがわかる。

 
胸の18センチを除くと、口から胸骨と鎖骨の付け根まで9センチが残る。布を調べると、これは7センチに縮んでいるが、ちょうど胸の上に頭をたれていたからである。

 そのうえ、聖ヨハネは、カルワリオ山での処刑に立ち合って、「ひとりの兵士が槍で、おん脇を突いたので、すぐ血と水とが流れ出た。」(ヨハネ19・34)という医学的リポートを私たちに伝えている。イエズスは、最後の瞬間まで意識がはっきりしており、その死は、いけにえの死であって、聖書の考えによると、いけにえの血を流すことによって行われる贖罪のいけにえであった。
 いろいろと仮定してみる死因は、いずれも聖書には合致しないところがあり、聖書より提示されるデータには合わないようである。窒息について述べるときも、ショックについて述べる時も、すべての場合、このような時に臨終の人を意識不明や昏睡状態におちいらせたのち、それから回復することはありえない。
 このようなことは、キリストにおいて適用されない。 人間にとって、重要な最後の瞬間に、キリストは、御父に自分自身を献げ、その奉献を宣言し、おん父のみ旨に全面的自由な愛に満ちた同意をもって死を受け入れられた。他の説明、例えば、外傷性または他の原因による漿(しょう)液性心外膜炎によるならば、キリストの脇から、ただちにまた、別々に「血と水とが」流れ出るということはうなずけない。
 ジビリアでの実験(ヨゼフ・リケルモ・サラル博士の「Examen medico de la vida y Passion de Jesu Cristo=イエズス・キリストのいのちと受難の医学的考察」マドリッド、1953年)では、心臓を傷つけられていない死骸に、死後2時間たって、兵士が槍で行ったように、刃物で力強く突き刺したならば、血と水とが分かれて流れ出すという現象は実験では絶対ありえなかった。このことからも、キリストの死因を他の面に求むべきことを促すのである。

死因は心臓外膜出血であるか?

 前世紀の英国の有名な医学者のおかげで、確実なケースに基づいて、この興味深い研究を行って結論を得た。(ウィリアム・ストローの「A treatise of the phisical cause of the death of Jesus Christ =イエズス・キリストの死因の考察 ロンドン」1847年)これは、心臓外膜出血(心臓破裂)で死亡した人に関するものである。聖ヨハネの「すぐ血と水とが流れ出た」ということに関して、医学的に適しい説明の可能性が出された。それは、2時間前に死んだ我が主の死因をも説き明かすものであった。
 この研究は、まだ冠状動脈の機能が知られていない時代に行われたものであるとしても、死後数時間後に行われたものであるから、すじみちのはっきりしたものであるのは事実である。
 この場合、血が肋膜腔をなくすほど、心嚢を大きくする。メスで肋膜腔を開いたら、血は、(たとえ1時間後であっても)2つの異なる要素に分解して見えた。上のほうには比重が異なるので、上部にたまった血漿があり、下には沈殿した血球成分があった。この研究から、彼はキリストが心臓破裂によって死亡したのではないことに合致する。よく観察したケースによれば、心臓破裂で死ぬ瞬間に、当人は、大声で叫んで、1〜2分で死亡していた。
 イエズスのケースにおいては、死ぬ前に大声を上げて、頭をたれて、息絶えた。この大声の叫びは、窒息の状態ではありえない。心臓破裂とは合致する。頭をたれることは、聖骸布の研究からはっきりすることだが、身体全体が、背のびの状態にあったことを暗示している。兵士の槍は驚嘆すべき状態を表している。すなわち、血と水とが別々に流れ出ることを立証する。もし、心臓が破裂せずに、槍で貫かれたなら、血が心嚢の液体とまざって肋膜腔に入って、(聖ヨハネのいうようなすぐにではなく)そののち開かれた脇から出たことであろう。
 聖骸布の上には、脇から血と水とが流れ出たことと、頭をたれていたことが実証されている。前者は、濃い血のしみがあって、その周りに、淡い色の血漿がかこんでいる。これは聖ヨハネのいっている、血と水であろう。
 破裂の主たる原因は、心臓に、急性虚血現象が生じたことだと強調される。オリーブの園での苦悶では梗塞現象が生じ、これは最後には破裂にいたる、心臓壁が硬直する原因となった。

(ダリ:十字架の聖ヨハネのキリスト, 1951年, グラスゴー美術館蔵。
Dali: La Christ de Saint Jean de la Croix, Glasgow Art Gallery & Museum, Glasgow
『現代世界美術全集#25』より)