エルサレムで十字架につけられたエゼキエルのヨハネに関する考察

聖骸布にもとずく十字架の道行き』モンシニョール・ジュリオ・リッチ著 小坂類治、マリア・コスタ訳(ドン・ボスコ社 1976年刊)より(p43~p47)

エルサレムで十字架につけられたエゼキエルのヨハネに関する考察

 センセーショナルな発見のニュースが1971年1月4日に伝わった。ギバト・ハ・ミクタルの墓所でイエズス時代に十字架につけられた人の骸骨が発見されたニュースである。発見者は、エルサレム大学の人類学教授、ニク・ハアス氏である。彼の説明によると、それはエゼキエルのヨハネという人の骨の断片である。この男は、24~28歳ぐらい、身長一メートル67センチ、腕の釘は、尺骨と撓骨の間にうたれ、足は平行に並べたかかとを 17センチの一本の釘で横から貫いていた。ハアス氏の説明では、右の足から左足に釘は打ち込まれていたが、これは上下2.5センチの差のある斜に入っていた。このことは十字架につけられた時にも両足がそろえられていたのを示している。(注1)
 釘の頭は2センチぐらいかかとの骨から離れている。そこにはアカシアかピスタチオの木片がつけられていて、その残片は、今でも釘に付着している。木片は足を固定させるために用いていたが、ハアス氏のいうところによると、もうひとつの理由として、そこに死刑囚の名を記入するためであった。
 イエズスの断罪に当たって、すて札が「頭の上に」(マタイ27・37)というのは、当時の習慣の逆をいっているわけである。これは今度の発見からも、はっきりと証明されるとおりである。みせしめとして行ったのだから、このようなやり方も考えられないこともないことであって、この点を歴史的福音史家は強調しているのである。
(注1)エゼキエルのヨハネの十字架刑を示したデザイナーは、ハアス教授の主張とは反対に釘は右足でなく左足が先に貫かれたようにしている。この際、釘は右足のかあkとと距骨の間を横から貫いた。
 研究所の調査の結果、釘の先端には、オリーブの木の節のかけらがついているのがわかった。釘の先は、木が堅くて曲がってしまっていた。ハアス氏はこの間のことをつぎのように述べている。「むりをして体の位置を取り、この釘は斜に入ってしまったが、そこに節があって、そのため、まっすぐはいらず曲がってしまったから、オリーブの木から1~2センチも出てしまった。釘を調査すると最初は17~18センチであったようだ。これは2つのかかとの骨を貫いて木にとめるに充分な長さであることがわかる。実際は、釘がまがってしまったので、まっすぐな部分は12センチしかなかった。釘の頭は十字架の木にきちんと入らなかったことを示している。」
 これは十字架につけられた聖骸布の人の場合とはだいぶ異なったテクニックである。手足の釘の位置の相違は、めずらしいものではない。十字架刑の実施については一定の方法によったものではなかった。それは、しばしば執行人の気分に左右されていた。
 この2つの方法を比較してみると、エゼキエルのヨハネの時よりも、聖骸布の人の方が凄惨な残酷さを示している。
 興味を起こさせる点は、足の釘の位置が、イエズスの場合と違っていることである。事実イエズスの場合には、横に並べていたのではなく、重ねられてあり、第2中足骨間に1本の釘で貫き通していた。聖骸布の考古学的な考察から証明されるように、のびあがる動きは、十字架につけられていた時に、膝は、ほとんど曲げられていたことを示す。股の間に、支えがなかったので、このような動きが可能であった。臨終になり始めた時に、このような動きをはじめたことだろう。その時、十字架の下にいた敵は、「自分を救えないだろう」と叫び出した。このような動きは、いうにいわれぬ苦痛のもとになっていたことであろう。正中神経に与えた刺激のためにいっそうひどいものであった。このような動きは、エゼキエルのヨハネの場合にはなかった。
 事実、エゼキエルのヨハネには腰かけがあり、足の釘の位置は、たいした動きもできなかった。記録によれば、エゼキエルのヨハネの死因は、夕暮れになって、脛骨(けいこう)を折って早められたのである。
 つぎのような議論が、エゼキエルのヨハネの骸骨の発見の結果生じたのである。この議論において、当時の十字架刑にあった人は、みなエゼキエルのヨハネの形式でつけられたという説に傾いてきた。そして2人の盗賊も同じように行われたであろうといっている。再び論を進めて、エゼキエルのヨハネが、イエズスと共に十字架につけられた盗賊のひとりであると断定する人も出てきた。
 自分の目で確かめた証人として、ヨゼフ・フラヴィウスは、70年のエルサレム包囲の際には、1日に500人もの十字架刑の処刑があって、それには、いろいろの方法で十字架につけられていた。証人(ヨゼフ・フラヴィウス)によると囚人は、いろいろの方法で十字架につけられたが、それはヘブライ人を軽蔑する意味でそうしていた。イエズスの場合、ニク・ハアス氏自身の確証によると、聖骸布の信憑性の要素としては、不充分であるとした。その理由としては、聖骸布の人の場合、中足骨の釘の仮説では、死が2~3時間あとに生じるはずであるというけれど、私たちはむしろこの点が証明したかったのである。
 事実、イエズスは12時ごろ十字架につけられて、(マタイ27・7、45~46)午後の3時ごろに亡くなっている。その他、十字架につけられた人にとっては、もっと残酷な方法でその臨終を早めるほどのことがされていた。聖骸布に証拠づけられているのは、支えの木がつけられていなかった。膝をまげて、釘の位置、すなわち手根骨と第2中足骨間のところで支えることによって臨終を早めたことは、はっきりしている。結局、このために、十字架につけられて、わずか3時間で亡くなってしまったので、膝を折ることもなかった。
 キリストの死について語る場合、信じうべき出典は聖福音書である。その他にも考古学的資料である聖骸布を精密に調べることから、はっきりしてくる。なぜなら、ナザレトのイエズスについて、誤りない確実性をもって述べている。
 盗賊について、エゼキエルのヨハネと同一人物と断定するのは慎重にすべきである。十字架刑に処せられた人が、(金曜日の)夕暮までに絶命していなければ、(ローマでなく、エルサレムにおいては)すべて脛を折って殺してしまわなければならなかった。「彼らの死骸が、地上で悪臭を放たぬように」(第2法の書21・23)との規定があった。
 また、研究所の調査で、新たな要素が出てきた。そえは、釘の先端に、オリーブの木の粒状になった塊が付着していたことである。このことから論ずるとすれば、ヨゼフ・フラヴィウスの証言が思い出される。彼はエルサレム包囲にあたって、降参しない者や、城壁の外で縛った者を十字架につけるために、エルサレム周辺の広い地域の木が(このほとんどはオリーブの木であったが)全部切られてしまったと証言している。この友人は、十字架につけられて、まだ生きているうちに、ヨゼフ・フラヴィウスがチト皇帝に直接上訴して、返してもらった。
 それゆえ、非常に古いキリスト教伝統によると、2人の盗賊には綱が用いられてた。
福音書でも、エゼキエルのヨハネの手根骨にはみられるような釘が、彼らにはなかったようにほのめかしている。2人の間で交わされたような会話も、打ちつけられた釘が、正中神経を傷つけているなら、心理的にも、とうていできないことであった。イエズスと同時代の古代の十字架刑の明白な証言で充分であろうと思われる。(2世紀のエフェゾのセノフォンテは、エジプトではその地方の習慣によって綱で十字架刑にしていたと述べている。)「もっと長く生きさせるため」であるといっている。聖アンドレアの十字架刑のケースも同様であった。盗賊は、地面に打ち立てられている柱に横木を取りつけるだけで、最後の準備は整えられていた。すなわち、カルワリオについた時には、すでに裸にされており、むち打ちも受けており、横木にしばりつけられていた。
 (聖ユスチノによると)支えを股間にはめ、足を縛ると、容易に手順が終了する。イエズスには、このようなことはしなかった。イエズスがカルワリオについた時には、肩には横木がつけられていなかった。衣服はつけていた。衣服をはぎ取ってから、そこで決定した方法は釘づけであった。


エゼキエルのヨハネのそろえたかかとを貫いて先端のまがってしまった釘。


十字架刑の支えの木。前腕の血の流れがいろいろの方向に流れていることは、聖骸布の人にとってこれがなかったことを示す。