十字架の道行き 第十一留  

第十一留 イエズス十字架にくぎ付けにせられ給う『公教会祈祷文』カトリック中央協議会編 昭和34年度版より

    
         
 
 ああキリストよ、主は尊き十字架をもつて世をあがない給いしにより、
 ▲われら主を礼拝し、主を讃美し奉る。

 主はすでにくぎ付けにせられんと十字架の上に倒れ、御(おん)みずから御手足(おんてあし)を延ばし給いたるを、ユデア人(びと)らは荒々しくその御手足にくぎを押しあて、かなづちにて打ち付けたり。この時(とき)主の御(おん)苦しみはいかばかりなりしぞ。御肉(おんにく)は破れ、御血(おんち)は流れて御力(おんちから)尽き、なお御(おん)渇きは堪え給うべくもあらず。さるをユデア人らは少しも心せず、十字架を押し立て、根下(ねもと)を突き固めて立ち去りけり。聖母は始終これを見て涙にむせび、十字架のもとに留(とど)まり給う。
 ▲主イエズス・キリスト、主はわれらのために、十字架にくぎ付けにせられ給えり。さればわれらもまた、主と共に十字架に付けられんことを望む。たといいかなる苦しみに遭うとも、主を離れざるよう御(おん)恵みをくだし給わんことを、ひたすら願い奉る。アーメン。

(主祷文) 天にましますわれらの父よ、願わくは御名の尊まれんことを、御国の来らんことを、御旨の天に行わるるごとく地にも行われんことを。▲われらの日用の糧を、今日われらに与え給え。われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え。われらを試みに引き給わざれ、われらを悪より救い給え。アーメン。
(天使祝詞) めでたし、聖寵充ち満てるマリア、主御身と共にまします。御身は女のうちにて祝せられ、御胎内の御子イエズスも祝せられ給う。▲天主の御母聖マリア、罪人なるわれらのために、今も臨終の時も祈り給え。アーメン。
(栄唱) 願わくは、聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを。▲始めにありし如く、今もいつも世々にいたるまで。アーメン。

 主われらをあわれみ給え。▲われらをあわれみ給え。
 願わくは死せる信者の霊魂、天主の御あわれみによりて安らかに憩わんことを。▲アーメン。
 ああ聖母よ、▲十字架にくぎ付けにせられ給える御子の傷を、われらの心に深く印し給え。

▲:皆で唱える。

聖骸布にもとずく十字架の道行き』モンシニョール・ジュリオ・リッチ著 小坂類治、マリア・コスタ訳(ドン・ボスコ社 1976年刊)より

第11留 十字架につけられる

 イエズスはヘブライ語で、ゴルゴタと呼ばれる「されこうべ」というところに行かれた。彼らはそこで、イエズスを十字架につけた。また、イエズスをまん中にして、ほかの2人の者を、彼と一緒にその両側につけた。(ヨハネ19・17~18)
「彼らは、私の手足をつきさした。」(詩編21・17)
 聖骸布を細密に調査してみると、十字架の刑の、ひじょうに残酷な苦しみの面を示している。それは、十字架に処刑されたイエズスの死を早めてしまう方法で課せられたものである。
 十字架につけるには綱か釘が用いられていた。時には、股の間に腰かける木を置いていたが、それは生命をのばす役割があった。聖骸布の人は、左の手根骨の付近に釘の傷がはっきりと見られる。キリストの釘の傷について、初めて接する奇妙な証拠である。ビザンチン時代から現代にいたるまで、ほとんどすべての芸術家は、中手根の所に釘をつけている。もし、手のひらに釘つけて、40キロの重量でけん引すると10分後に、手は重さを持ちこたえることができずに釘から抜けてしまう、ということが実験で証明ずみである。ローマ人は、このような苦罰には慣れていたので、人を十字架にはりつける時には、安全で動かないように手を釘づけるには、手根骨か、あるいは尺骨と撓骨の間しかないことをよく知っていた。聖骸布の人において、手根骨の所であったのは確実である。ここで釘は、正中神経に触れることになる。この正中神経は、感覚中枢(傷つければ気絶させるほどの痛みを与える)と運動神経(腱の筋によって、親指の運動を支配する)である。
   
Z—Tは手根骨部分の釘の穴。     1—4は血のり。(中央部分に釘の穴がみられる)
                  足の甲の斜につつみこまれた所で、
                  右足の上に左足を重ねたのがわかる。

 このようなくわしいことは外科の実験によってはっきりしてきた。腕の手根骨に釘をつきさすなら、切断直後でさえも親指が手のひらの中にまがる。
 聖骸布の人の左手のあとは、実験に親指を除いて他の4本の指だけしかしるされていない。
 足の所では、右の足に第2足骨間の甲(4)と裏の部分にはっきりした釘のあとをしるしている。
 ここから種々の方向に血が流れているが、これは、体の重みをささえる努力にたいして、旋転したような動きがあったと考えられる。
 むしろ足の甲の部分には、釘の穴が広い血のりでつつんでいるのが見られる。この形は、足の全面をおおっている。これは左足は上にのせてつけていたというはっきりした印である。左足の裏に、右足の甲にあった血のりのあとがついており、また、もうひとつ、釘の穴も見られる。
 どれほどの旋転があったかを調べると、図5のような形が見られてきた。
十字架につけられていた人の重さをささえていた釘が、まわりにも苦痛を与えていた。皮膚のしわを作り、その間には血が充ちていた。釘を抜き出した時、その血が聖骸布にしみこむのにもっとも適した状態であった。
 左足の裏の部分は、トリノの聖骸布では、かかとの所と、釘の穴から直接血が斜めに流れた印がある。
 左足の写し出された所を見ることにしよう。
 1、2、3、は運んだ人の指のあとがついている。
 4には、右足の甲の血のりのかたまりが逆にこびりついている。
 5には、体の重みを支えていた釘でできた皮膚のしわによって、斜めにうつった、血のあとがある。
 6には右足と同じ所に釘の穴がみられる。
 右足が他の足と別個の釘でつけられていたとすれば、ただ血の流れだけしかみられないはずである。中央に釘の印があって、血のりが広がっていくような形は見られなかったはずである。
 私たちの興味について、聖骸布の示し出す痕跡を考え合わせると、十字架につけらえた釘は4本ではなく、3本であったことがわかる。

足の裏の印。A—B—Cは右足の旋転でできたと思われる血の流れ。Dは右足裏の釘の穴。

上:十字架上のキリスト(ジョット フィレンツェ
   Giotto: Crocifisso. Santa Maria Novella,Firenze   
下:キリスト伝:キリストの磔刑(ジョット パドヴァ
   Giotto: Storie di Cristo. Crocifissione. Cappella degli Scrovegni, Padova
 (世界美術大全集 #10 ゴシック2より)