十字架の道行き 第八留

第八留 イエズス、エルザレムの婦人を慰め給う 『公教会祈祷文』カトリック中央協議会編 昭和34年度版より

     
    『聖顔』13世紀 アンドレイ・ルブリョフ美術館(『ロシア正教のイコン』創元社刊より)
 
 ああキリストよ、主は尊き十字架をもつて世をあがない給いしにより、
 ▲われら主を礼拝し、主を讃美し奉る。

 この時(とき)主の後よりあまたの人々慕い来り、なかにもエルザレムの婦人は涙にむせびて道すがら泣きければ、主はかれらを顧み、御(おん)苦しみを忘れて、慰め宣(のたま)わく『エルザレムの婦人よ、わがために泣くなかれ、なんじらとなんじらの子孫とのために悲しむべし。生木(なまき)すらかくの如くなれば、まして枯木(かれき)はいかにぞや』と。
 ▲主イエズス・キリスト、主は罪なくして苦しみを受け給えり。われらは罪をもつて聖寵を失い、あたかも枯木の如くなれば、必ず地獄の火に燃やさるべき者なり。さればわれらに、おのが罪と人々の罪とのために泣き、痛悔(つうかい)の涙を注がしめ給わんことを、ひたすら願い奉る。アーメン。

(主祷文) 天にましますわれらの父よ、願わくは御名の尊まれんことを、御国の来らんことを、御旨の天に行わるるごとく地にも行われんことを。▲われらの日用の糧を、今日われらに与え給え。われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え。われらを試みに引き給わざれ、われらを悪より救い給え。アーメン。
(天使祝詞) めでたし、聖寵充ち満てるマリア、主御身と共にまします。御身は女のうちにて祝せられ、御胎内の御子イエズスも祝せられ給う。▲天主の御母聖マリア、罪人なるわれらのために、今も臨終の時も祈り給え。アーメン。
(栄唱) 願わくは、聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを。▲始めにありし如く、今もいつも世々にいたるまで。アーメン。

 主われらをあわれみ給え。▲われらをあわれみ給え。
 願わくは死せる信者の霊魂、天主の御あわれみによりて安らかに憩わんことを。▲アーメン。
 ああ聖母よ、▲十字架にくぎ付けにせられ給える御子の傷を、われらの心に深く印し給え。

▲:皆で唱える。

聖骸布にもとずく十字架の道行き』モンシニョール・ジュリオ・リッチ著 小坂類治、マリア・コスタ訳(ドン・ボスコ社 1976年刊)より

第8留 イエズスはエルサレムの婦人をなぐさめる

「おびただしい大群の人々と、イエズスのために嘆き悲しむ婦人たちがあとについていた。イエズスは婦人たちのほうをふりむいておおせられた、”エルサレムの娘たちよ、私のために泣くことはない。むしろあなたと、あなたたちの子らのために泣け。<石女、子を生まなかった胎、飲ませなかった乳房はさいわいだ>という日が来る。その時、人々は山に向かって、<われわれの上に倒れよ>また丘に向かって、<われわれをおおえ>というだろう。生木さえもそうされるなら、枯木はどうなるだろうか。”そこには、他の2人の悪人も、イエズスと共に刑を受けるために引かれていた。」(ルカ23・27~32)

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