十字架の道行き 第六留

第六留 イエズス御顔(おんかお)を布に写させ給う 『公教会祈祷文』カトリック中央協議会編 昭和34年度版より


 ベロニカ 12世紀後半 モスクワ・トレチャコフ美術館(『ロシア正教のイコン』創元社刊より)

 ああキリストよ、主は尊き十字架をもつて世をあがない給いしにより、
 ▲われら主を礼拝し、主を讃美し奉る。

 主はなお歩み行き給うほどに、御体(おんからだ)も御顔(おんかお)もあけの血に染(そ)み給えども人々は少しもあわれまず、ますます荒立ち騒ぎたり。この時ヴェロニカという女群衆のうちより走り出(い)で、主に布を献げければ、主は御(おん)みずから御顔(おんかお)を拭い、尊き御(おん)面影をその布に写して返し授け給えり。
 ▲主イエズス・キリスト、われらの霊魂に聖寵を添え給え。十字架の苦難によりて、われらに御功徳(おんくどく)を移し給え。われら弱き者なれども、ヴェロニカにならい、世のあざけりを顧みず、専ら主を崇(あが)め奉るを得んことを、ひたすら願い奉る。アーメン。

(主祷文) 天にましますわれらの父よ、願わくは御名の尊まれんことを、御国の来らんことを、御旨の天に行わるるごとく地にも行われんことを。▲われらの日用の糧を、今日われらに与え給え。われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え。われらを試みに引き給わざれ、われらを悪より救い給え。アーメン。
(天使祝詞) めでたし、聖寵充ち満てるマリア、主御身と共にまします。御身は女のうちにて祝せられ、御胎内の御子イエズスも祝せられ給う。▲天主の御母聖マリア、罪人なるわれらのために、今も臨終の時も祈り給え。アーメン。
(栄唱) 願わくは、聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを。
 ▲始めにありし如く、今もいつも世々にいたるまで。アーメン。

 主われらをあわれみ給え。▲われらをあわれみ給え。
 願わくは死せる信者の霊魂、天主の御あわれみによりて安らかに憩わんことを。▲アーメン。
 ああ聖母よ、▲十字架にくぎ付けにせられ給える御子の傷を、われらの心に深く印し給え。

▲:皆で唱える。

聖骸布にもとずく十字架の道行き』モンシニョール・ジュリオ・リッチ著 小坂類治、マリア・コスタ訳(ドン・ボスコ社 1976年刊)より

第10留 ヴェロニカ
 聖骸布においてよく調べきことは、聖骸布の人の顔と首すじの血のしみの方向を比べることである。首すじの血のしみは、ほとんど全部左のほうを向いているのに比べて、顔は左のほうにはまったくなく、むしろ右の方向か垂直に向かっている。
 このようなことから、十字架につけられる前に、その顔は、あわれみ深い手によって拭われたことが考えられる。その時、顔だけ拭って、首までには及んでいないことがわかる。
 聖骸布に関する、このような価値ある直覚は、イエズスが十字架につけられる前に、顔を布に映し出して、エルサレムの婦人に与えたという古い伝説による絵の存在がはっきりしてくる。この布にある顔は聖骸布の特殊な姿とは違ったものである。聖骸布では3時間も続いた悲惨な臨終で始まった、上下の動きに調和した血の流れを示しており、また十字架よりおろされた後にのみ映し出されるようなものである。


後頭部のいばらの冠の血のしみ。左に向いたほうが多い。


聖骸布の人の額についた茨の冠の血痕。これは2つの方向(垂直と右のほう)に向かっている。
十字架につけられて、さがった時(血の流れは垂直となり)のび上がった時(血の流れは右のほうとなる)の2つの動きは避けられなかった。ここには右や垂直にあるが、首すじでは、左のほうにはひとつもない。


ベロニカの裏面
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*雪の日のデータ消失のため、第六留からの画像(オードリック神父様からの)がありません。