十字架の道行き 第二留

第二留 イエズス十字架を担い給う 『公教会祈祷文』カトリック中央協議会編 昭和34年度版より

   

 ああキリストよ、主は尊き十字架をもつて世をあがない給いしにより、
 ▲われら主を礼拝し、主を讃美し奉る。

 人々は主を外に引き出(い)だし、荒木(あらき)もて作れる十字架をかしこくも主の肩に打ち掛くるや、主は御身の傷をもいとい給わず、すこしも拒み給う御気色(みけしき)なく、引き寄せてこれを担い、柔和にして、堪忍深き御姿(みすがた)にてかれらの後(あと)より歩ませ給う。
 ▲主イエズス・キリスト、主は十字架を担い給うべきにあらず。罪人(つみびと)なるわれらこそ、十字架を担うべき者にはあるなれ。さればわれらは主の御旨(みむね)によりて、罪を償(つぐの)うがために、この世の苦難を受くべき者なれば、主を鑑(かが)みとして、柔和堪忍をもつてこれに耐えしめ給わんことを、ひたすら願い奉る。アーメン。

(主祷文) 天にましますわれらの父よ、願わくは御名の尊まれんことを、御国の来らんことを、御旨の天に行わるるごとく地にも行われんことを。
 ▲われらの日用の糧を、今日われらに与え給え。われらが人に赦す如く、われらの罪を赦し給え。われらを試みに引き給わざれ、われらを悪より救い給え。アーメン。
(天使祝詞) めでたし、聖寵充ち満てるマリア、主御身と共にまします。御身は女のうちにて祝せられ、御胎内の御子イエズスも祝せられ給う。
 ▲天主の御母聖マリア、罪人なるわれらのために、今も臨終の時も祈り給え。アーメン。
(栄唱) 願わくは、聖父と聖子と聖霊とに栄えあらんことを。
 ▲始めにありし如く、今もいつも世々にいたるまで。アーメン。

 主われらをあわれみ給え。▲われらをあわれみ給え。
 願わくは死せる信者の霊魂、天主の御あわれみによりて安らかに憩わんことを。▲アーメン。
 ああ聖母よ、▲十字架にくぎ付けにせられ給える御子(おんこ)の傷を、われらの心に深く印し給え。

▲:皆で唱える。

聖骸布にもとずく十字架の道行き』モンシニョール・ジュリオ・リッチ著 小坂類治、マリア・コスタ訳(ドン・ボスコ社 1976年刊)より

第2留 イエズス十字架を担い給う

 「イエズスは十字架をにない、ヘブライ語ゴルゴダとよばれるされこうべというところに行かれた。」(ヨハネ19・17)
 イエズスの時代にはローマやエルサレムにおいて、十字架刑を受ける者に、両手を広げさせ、肩に門のかんぬきを縛りつけるのであった。そのかんぬきは、大きな梁からできていて、十字架刑にあたって、すでに地面にうちこんでいる柱にこれをはめこんだりしていた。
 歴史家の伝えるところによると、十字架刑に定められた者たちは、そのかんぬき棒に縛りつけられないように、はげしく抵抗していた。そのため、むりに縛りつける必要があった。その日にも、他の2人の強盗も同様であったに違いない。
…イエズスはエルサレムで自ら望んで愛をもって、強制されることなく自発的に、苦難に身をゆだねた。手をのばし、聖ペトロがする前に、ご自分で十字架を抱いたのである。

 聖骸布にあらわれている人の、左の肩甲骨の所と右肩上の2個所に、大きな打ち身がある。写真にある平行線は、かんぬき棒が20度の傾斜になっているのを示している。
 聖ヨハネと共観福音史家は、このかんぬき棒をStauros(十字架の横棒)といっている。傷痕の様相はつぎのことを示している。左肩甲骨の打ち身が、右よりも広がっているのは、右に比べて、ここで支えたからである。その上、かんぬき棒の下の部分は、左足首のほうにひもで結ばれていたのである、とすれば、ぴったりあてはまる。聖骸布の人の身動きは、歩いているあいだ、動くたびに、左下にひきつれていて、自然に重みがここにかかっていた。それで、右のほうは幾分楽になっていた。
 注意すべきことは、その打ち身の部分にも、鞭打ちのあとがはっきりと印されていることである。この2種の傷あとがはっきりしているのは、聖骸布の人の肩は、前もって鞭うたれたうえで、衣服を着けられてから苦難の道にいたったことがうなずける。衣服を着けていなければ粗い木が皮膚にすれて、鞭打ちのあとの傷をほとんど潰してしまったであろう。イエズスは、この裁判で死刑の判決前に鞭打たれた。これは、白状させるために鞭打ったのではなく、釈放にあたって、今後のいましめのために行う鞭打ちであった。(ルカ23・16~20,22)
 ピラトは、「十字架刑」とおそろしい言葉で死刑の判決を書いた後に、イエズスは、ご自分の衣服を着せられ、普通の場合に十字架刑にあう人が、刑場への長い道中で受ける鞭打ちの刑はまぬがれた。
 肩に縛りつけられたかんぬき棒で、2つの打ち身を作る前に、ピラトの官邸で鞭打たれたという不思議な出来事は、傷あとからはっきり証明される。傷あとの状況をよく見ると、はっきりと2点に集中してきているようだ。じっとしている人にたいして鞭打つのでひとつは右に集まり、他は左に集まっている。この鞭打ちは2人のローマ兵によって行われた。おもりをつけた3本の鞭をまとめたもので行う鞭打ちの刑は、ヘブライ人がモイゼの律法に規定した、40回の数をはるかに越えていた。(121回くらいである。)

 左肩甲骨付近。
肩にしばりつけられた横木に起因する挫傷。肩甲骨の外側に少し広がっているように見受けられる。この広がりは、横木に縛りつけられ、聖骸布の人が両腕を縮めていたためにできたものである。 a-b-c-d: 聖骸布の人の肩に縛られた横木の傾斜の方向を示す。