‘90・12・22のメッセージの説明

(‘90・12・22のメッセージの説明)

当初、主に道を開くようにと突然守護の天使が近づいて来た時、「罪人専科」の私としては、神を愛していませんでした。 天国のことを天使が話している時でさえ、天使と一緒だというだけで満足でした。それ以上は求めていませんでした。 — 天使に代わって神が近づいてこられた時は、ちょっとがっかりしました。神は他人のように感じられ、いっぽう、天使とはもう親しい間柄で、驚きの感情が愛する思いへと移っていたからでした。 その時は、神がどうして天使に取って代わられたかが分からず、私が天使をこれほど愛しているので、そのことに嫉妬しておられるとまで考え、天使を気の毒に思ったりしました。 —後ほど、天使を通して大変辛い清めがあってから、神は再び天使に代わって近づいて来られました。二、三日ご一緒でしたが、英知をもって、驚かせないようにとゆっくり、私の心を開いていかれます。 ちょうど私も心を開こうとしたその途端、神は姿を隠され、逃げてしまわれました。天使を探そうと見回しましたが、見つかりません。二、三の霊魂*が祈りと祝福を求めて近づいて来るのを感じましたので、私は祈ってあげ、祝福しました。次に、聖水で祝福してほしいと頼まれ、教会に飛んで行って聖水を持って帰り、それを振りかけながら祝福しました。この機会に私の天使の行方と、すでに愛を心で感じはじめていたお方の行方を尋ねてみましたが、答えは得られません。 — 一日一日が一年のように感じられ、平和を探しても、無駄でした。多くの人びと、そして友人たちにも囲まれていましたが、その日々ほど孤独で見捨てられたように感じたことはありません。地獄を通っているような感じでした。 — 何度となく天使に戻って来るよう呼びかけましたが、そのかいもなく、私に背を向け、行ってしまったようです!「恋しい人の言葉を追って私の魂は出て行きます。求めても、あの人は見つかりません。呼び求めても、答えてくれません。」(雅歌5・6) まる三週間、独りで砂漠をさまよった末、もうこれ以上は耐えられなくなってしまいました。悲嘆にくれた私は、天を仰いで探すように、ヤハウェに向かって叫びました:「お父さん、ああ 神よ、私を受け取って好きなように使って下さい。お役に立つように清めて下さい!」 心の底から発したこの叫びと同時に、突然天が開き、雷鳴のような御父の声がとどろいて、感動に打ち震えたお答えが下りました:「私、神はあなたを愛している!」 その瞬間、竜巻から振り落とされて、美しい平和な世界に降りてきた感じでした。私の天使は再び戻って来て、そっと優しく傷の手当をはじめてくれました、砂漠で受けた傷の。—こうしたことが1986年 復活祭の頃にあったのです。(*『私の天使ダニエル』のノート1−2をご参照下さい。訳者)
*煉獄からの。