御受難の主日(枝の主日) 主のエルザレム入城


画像:『我天主イエズス・キリストの伝図解』昭和4年(1929)
宣教師マキシム・プイサン著(絶版)より

御受難の主日 一級祝日 紫
 四旬節のはじめから、公教会は、救主なるキリストの御心を心とするようにと勧めた。聖週間の大ドラマが近づくにつれて、信者は、より一層典礼に注目し、より深く潜心し、キリストの受難にあずからねばならない。
 本日より、ミサ聖祭には、「神よ、私を弁護し…」(JUdica me)の祈りを省略し、入祭文の詩編ののちの「願わくは…」<栄唱>をも省略する。(祝日のミサにはある)同じく、「手を洗って…」(Lavabo)「私に水を注いで…」の後の「願わくは…」も省略する。これらの異例をもって、本日よりはじまる期節を受難節という。 これより、洗礼志願者と公の罪人とのことは、もう二義的なものになり、聖書、讃美歌、祈りのうちに思い出されるのは、ただ、「苦しむキリスト」である。 典礼は昨日、ラザロの復活の一節を告げた。歴史的に見れば、ユダヤの上流階級の人に、キリスト殺害の決意を抱かせたのは、このラザロの奇蹟であった。
 公教会は、典礼において、選ばれた民がキリストを全くすてたここ何日かの間の、キリストの御心を、われらに思い出させようとする。本日は、<入祭文>から<聖体拝領>に至るまで、この世のいけにえに上がろうと決心したイエズスの御心を表現する。

聖週間
 灰の水曜日ののち、御復活の大ドラマをひらく準備の四十日が過ぎた。四旬節は聖土曜日までであるが、しかし、聖週間は、もはや単なる準備の時期ではない。これからの一週間は、主として記念の典礼である。

 枝の主日よりわれらは、一歩ずつ主の御あとをしたっていく。
 これより記念するのは、人間的神的な事件である。十字架の神秘と御復活とは、一つに結ばれたキリスト教の根本である。昔の教会の信者たちは、現在のわれわれよりも、もっとこの結合を意識していた。
 パウロの<書簡>では、幾度も、救主の御受難の栄冠としての御復活の価値が語られている。今も、典礼では、この奥義がしばしば語られる。ローマにおいて、聖週間に現在のような形が与えられたのは、だいぶ時代をくだってからである、東方教会においては、元来、聖金曜日の祝日が御復活の祝日より一層盛大に祝われていたが、これも、復活と御受難との結びつきをあらわすのである。
 たしかに、御受難の期節には、すでに復活のよろこびが、胚胎しているのである。初代教会の典礼伝統の証人である聖レオ教皇(440~461在位)は、聖週間の説教において、主の御死去の記念を苦業と悲嘆の日として語ってはいない。 彼にとって、主の御受難の記念日は枝の主日よりはじまって、復活の日にその絶頂に至る霊的よろこびの日々の一つである。「われらの過越祭は、いけにえとなり給うたキリストである」と公教会は、御復活の期節に讃美する。すると、このいけにえは、枝の主日よりはじまり、生命のために死を亡ばすキリストの御死去をもって、その頂点に達する聖金曜日までの週間である。
 つまり、御復活の祝日は、枝の主日よりはじまり、白衣の主日をもって終わるといってもよい。聖アウグスティヌスは、「御復活の十五日」を極めて感動的に語っている。昔の信者は、この十五日間、仕事を休んで聖なる復活の祝日にあずかっていた。 繁忙な現代では、そういう事はできそうにもないと思うが、われらも、ふさわしく主の御復活の記念を祝う必要がある。
 われらも、本日より、キリストの御心を心とし、その典礼において、母なる公教会の告げる心を受け入れねばならぬ。 十字架の奥義を通して復活の奥義に至り、やがて、光栄の昇天に至るであろう。いつか、われらも、天において、主の光栄の生命を見るであろう。しかし、今から、信仰と希望とをもって、あがないの業を行いつつあることを忘れてはならない。

枝の主日のミサ聖祭
枝の行列によって、救いのドラマがひらかれる。このミサにおいては、<入祭文>から苦しむ者と弱き者との主に対する叫びが語られる。
 受難のうたは、あがないへの道程をのべる。しかし、本日は主日である。復活への思いも全くなくはない。
<集祷文>では、あがないの計画が、神秘体の復活を頂点とするものであることを思い出させる。 受難のうたの前に、キリストの従順の奥義が、称讃と栄光とで幕を閉じることが強調されている。 枝の祝別と行列とを行った場合には、「神よ、私を擁護し…」の詩編と告白の祈りとをとなえない。

主日のミサ典書』 ドン・ボスコ社発行 昭和39年度版より (p188〜p189)