『おとめマリアのロザリオ』福者ヨハネ・パウロ2世教皇の使徒的書簡


教皇ヨハネ・パウロ二世使徒的書簡
『おとめマリアのロザリオ』(ROSARIUM VIRGINIS MARIAE)第三章より 13

38 ロザリオの神秘の各曜日への配分
 ロザリオは毎日すべての神秘を唱えることができますし、そのように行っている人も少なくありません。そのようにすれば、多くの観想修道者にとって毎日は祈りに満ちたものとなり、自由にできる時間がたくさんある病気の人やお年寄りには、心の慰めとなるでしょう。しかし、ロザリオの神秘に光の神秘が付け加えられればなおさらですが、多くの人にとっては、ロザリオの神秘の一部を曜日に従って唱える以上のことができないことは明らかです。この曜日ごとの神秘の配分は、週の各曜日をいわば「色」分けすることになります。それは、典礼で、典礼暦年のそれぞれの季節が色分けされているのに似ています。
 最近の習慣では、月曜日と木曜日には「喜びの神秘」を、火曜日と金曜日に「苦しみの神秘」を、水曜日・土曜日・日曜日に「栄えの神秘」を割り当てています。では「光の神秘」はどこに入れたらよいでしょうか。「栄えの神秘」が土曜日にも日曜日にも唱えられ、土曜日は伝統的にとくにマリアの曜日とされてきたことを考えるなら、マリアの存在がとくに強調されている「喜びの神秘」を唱える二番目の曜日を土曜日に移すことができるのでないかと思います。すると、木曜日に「光の神秘」を黙想できるようになります。
 この指示は個人または共同体の祈りにおける自由を制限することを意図するものではありません。霊的・司牧的な必要性と、何より、この指示を適用するのにふさわしい典礼の場であるかどうかをよく考慮することが必要です。いちばん重要なのは、ロザリオをつねに観想の道として考え、また実践すべきだということです。典礼において行われているのと同じように、ロザリオにおいても、復活の日である日曜日を中心としたキリスト者の一週間は、キリストの生涯の秘義を歩む旅となります。キリストは彼に従う弟子の生涯の中で、時間と歴史の主として自らを現されるのです。

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