『おとめマリアのロザリオ』福者ヨハネ・パウロ2世教皇の使徒的書簡

教皇ヨハネ・パウロ二世使徒的書簡
『おとめマリアのロザリオ』(ROSARIUM VIRGINIS MARIAE)第三章より 12

36 ロザリオの珠
  ロザリオの珠は、ロザリオを唱えるための道具として伝統的に用いられてきました。何も考えないで用いるなら、この珠は、単に、「聖母マリアへの祈り」の数を数える道具にすぎないものになります。しかし、この珠も、象徴的な意味を持っており、観想のためのより豊かな内容を与えてくれます。
 まず第一に注目すべきなのは、ロザリオの珠が十字架へとまとめられていることです。ロザリオの祈りは十字架から始まり、十字架で終わります。信者の生活と祈りはキリストを中心として行われます。すべてはキリストから始められ、すべてはキリストへと向かいます。そして、すべてはキリストによって、聖霊のうちに、御父へと至ります。
 珠の数を数え、祈りの歩みを刻みながら、ロザリオの珠は、観想の道も、キリスト信者の完徳への道も、終わりのないものだということを示します。福者バルトロ・ロンゴはロザリオの珠を、わたしたちと神とをつなぐ「鎖」と考えました。たしかにそれは鎖ですが、甘美な鎖なのです。それが甘美なのは、わたしたちの父である神とのきずなだからです。それはわたしたちを「子とする」鎖です。なぜなら、それはわたしたちを「主のはしため」(ルカ1・38)であるマリアと一致させ、また、何よりも、神でありながら、わたしたちへの愛のために「しもべ」となられたキリストと一致させるからです(フィリピ2・7参照)。
 同時に、ロザリオの珠の象徴的な意味を、わたしたちの互いの関係にまで広げることができます。ロザリオの珠によって、わたしたちは共同体や友人のきずなを思い起こします。それらも、わたしたちみなをキリストに結びつけるのです。

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36 が、抜けていました。