主のご降誕の典礼暦

主の御降誕

主の御降誕の大祝日 一級大祝日  8日間付

 われらの主の御降誕は、御復活、聖霊降臨と同様に、典礼暦年の高嶺ともいうべき、最も盛大な祝日である。待降節から七旬節までの他の祝日は、御降誕を基準として決定される。御降誕節は四十日間で、十二月二十五日から、二月二日までである。御降誕の祝日後のはじめての主日、御割礼の祝日、新年後のはじめての主日、御公現の祝日とその後の主日が、この期間に行われる。御公現後には、御復活の祝日がおそいか早いかによって、二つ、あるいは六つの主日がある。この期間の主日の聖福音は、げんみつに歴史的な時にしたがっているわけではなく、ただ、御降誕から御壮年までの御生涯を祝うだけである。この期間の特色は、人間となり給うた「御言葉」の御来臨について、信者の心にみなぎるよろこびである。典礼では、このよろこびを、幼き御子と、童貞母とにむすびつけて祝う。
 イエズスの御降誕の日は、いろいろ議論され、東方教会では、一月六日に御降誕を祝っていた。しかしローマ教会(西方教会)では、四世紀からすでに十二月二十五日に決められ、西方教会東方教会も、のちにこの日に祝うようになった。十二月二十五日と決定されたのは、この日、異教徒が、太陽神の祭を行っていたことと関連があるらしい。十二月二十一日から、日が長くなる。正義の太陽であり、万民の光であるキリストの御降誕を、自然現象にむすびつけて考えるのも意味のあることであろう。
 われらはこの祝日において、大いによろこび、感謝する。今日、キリストが生まれ給うた、救い主があらわれ給うた。天使はうたい、大天使らはよろこびいさむ。義人たちは「天のいと高きところ、神に光栄あれ、アレルヤ」(聖務日課)と歓呼する。
われらは、キリストの御降誕を祝うが、同時に、われら自身の誕生をも祝うのである。なぜなら聖レオ教皇は「かしらの誕生は、身体とその肢体の誕生でもある」といっている。この大いなる奥義を行うに当たって、もちろん荘厳な典礼が定められた。すなわち、三つのミサ聖祭が行われるのである。第一のミサは、昔は、雄鶏が時をつくるとき(Ad galli cantum)に行われたが、現在は「夜中のミサ」である。第二のミサは、あかつきに、第三のミサは日が上がってから行われた。

第一のミサ(夜中のミサ)
朝課と讃課との間、救主の御降誕の時間といわれる夜中の十二時に、このミサが行われる。福音書は、新鮮な表現で、この日の出来事を語る。その昔、ベトレへムのうまやで行われたように、今、われらの心にも、新たにこの出来事がくりかえされねばならなぬ。キリストは、われらを、キリストと似たものにならせようとして<蜜誦>、また、キリストに一致させようとして<聖体拝領後の祈り>、人間となり給うた。

第二のミサ(あかつきのミサ)
昔から、この日には、殉教者聖女アナスタジアをローマで祝っていたので、この第二ミサも、聖女アナスタジア大聖堂で行われ、また、ミサ中も、聖女を記念する。あかつきは、まことの光なるキリスト来臨をかたどる。このミサの文は、やみに対する光の勝利をかたる。<書簡>は特に、無償のあがないを強調する。

第三のミサ(日中のミサ聖祭)
グレゴリオ七世教皇のころまで、この第三ミサは、聖ペトロ大聖堂で行われていた。しかし、動乱の世であったし、天候の悪い冬季でもあったので、当時教皇の住っていたラテラン宮廷に近い聖マリア大聖堂に変えられたのである。だが、夜中のミサは、この聖マリア大聖堂内のうまやの小聖堂で行い、日中のミサは、中央大祭壇で行った。
第三ミサは、主として、メシアなる王の来臨、すなわち、神が予言者になし給うた約束の成就を祝う<書簡>。人間のみじめな身体をとって生まれ給うた御者は、神のみことばである。「みことば」は、人類のかしらとして、王として、司祭として、民をすくいに導く。<入祭文、集祷文、奉献文> 更に、救霊の奥義をすべて実現し、聖体の奥義への信仰によって、万民は、神がおくり給うすくいをながめることも語る。<聖体拝領誦>

主日のミサ典書』ドン・ボスコ社 昭和三十九年度版より