悲しみの聖母の記念日

聖アルフォンソ著『イエス・キリストのご受難』(レデンプトール修道会発行)の第十三章より抜粋

2. イエスは、十字架上で死んでいくときに、だれかご自分を慰めて下さる人を探されましたが、それもむなしく、預言者の口を借りて、うめいていらっしゃいました。「望んでいた同情は得られず、慰めてくれる人も見だせません。」(詩編 69・21)反対に、イエスが息を引き取られるや、ユダヤ人たちやローマ人たちは、彼をのろっていました。全く清らかな聖母マリア様は、十字架の下にたたずまれ、できれば、少しでも慰めをもたらしたいと思われたのです。しかし、悲しみ嘆く、愛すべきこの母は、激しい苦痛で苦悩に満たされて、悩まれていらっしゃったから、母を愛する独り子がこれを見て、かえってもっと悲しくなっておられたのです。聖ベルナルドは、「聖母は、悲しみに胸も張り裂けそうで、その苦悩の波は独り子に反映されたのです。そのため、贖い主は、苦痛に打ちひしがれたお母さんをごらんになったとき、ご自分の苦痛よりも一層聖母の悲痛に心を突き刺される思いをされました」と述べました。聖女ブリジッタに出現された聖母マリアは、「イエスはわたしを眺めて、ご自分よりわたしのためにもっと苦しまれたのです」とおっしゃいました。また聖ベルナルドも述べています。「優しいイエスよ、あなたは大変な肉体的苦痛を体験なさいましたが、お母さんへのあわれみの情のために、ご心痛はもっと大変なものでした。」…