信徒通信』第50号 聖母欄 に掲載いたしました

 

#83 あなたがたの沈黙 1975年10月24日

  何回もくり返します。あなたは苦しみや誤解を受けるでしょうが、運動に決して妨げるものがないでしょう。これは私の業です。誰もそれに触れることはできません。

 私の天使たちがもう戦いを始めました。彼らは、私の命令に従って全世界から私の子らを集めています。私は、彼らを招きに答えさせる方法を知っています。彼らがそれに応じる時、私の喜びは大きいのです。
 多くの人が自分は小さくてふさわしくないものだと思い、過去の多くの不忠実や弱さを考えて決心するのを躊躇しています。
 彼らが私に "ハイ" と言うと、私の心は喜びで戦きます。

 この "ハイ" が何回あるか、数えなさい。そして、私の汚れなき心にどれほどの喜びが与えられるかも数えなさい。
 子らよ、私はあなたがたのこの完全な捧げもののみを願います。あなたがたの限度や弱さや無能と共に、あなたがた自身の奉献を望みます。
 これは私の計画に必要です。
 私の運動のためになんの法的組織をも求めないのは、それが沈黙の中にひそかに広がって行くのを、私がはっきり望んでいるからです。
 あなたがたが用うべき武器は信頼と委託と共に沈黙の中の祈りです。

  内的な沈黙、 あなたがたの中に、母が話すのを許してください。
 あなたがた子どもの心に、イエズスの福音をやさしく繰り返すでしょう。そして、その福音の言葉の甘味を味わうようにしてあげましょう。
 他の声や、他の言葉に耳を傾けないでください。神のみ言葉だけに、その教えだけに、飢え渇くように! こうして神のみ言葉の学校で養成されるでしょう。

 外的な沈黙、 あなたがたのために話すのは、母である私におまかせください。もしあなたがたの中に、自由に行動させてくれるなら、私は喜んでそうするでしょう。
 私が話すためにあなたがたの沈黙が必要です。あなたがたの中のある人々には、このことは理解しにくいのです。それにもかかわらず、あなたがたは言葉の沈黙が必要です。
 あなたがたのある人々は、私の運動のために活動し、書き、行うことが必要だと思っています。しかし、私の運動の発展のためには、はっきり決めた私の汚れなき心の計画に従って、あなたがたの沈黙がどうしても必要です。
 生活を通して常にお話ください。生活があなたがたの言葉であるように。そうすれば私自身が、あなたがたの中で、あなたがたの代わりにお話しします。その時、あなたがたの言葉は聞く人に理解され受け入れられるでしょう。
 現代は、全世界を迷わすために、私の敵によって言葉が使われている時なので、私は、この言葉に対して、沈黙で対抗するように願います。
 こうして聖霊が、あなたがたの中で語り、あなたがたの中に降り、あなたがたを通して、この世は聖霊によって全く刷新されるでしょう。

#166 キリストの再臨 1978年12月24日 聖夜

 私の愛する子らよ、生まれたばかりの私の幼子を貧しいまぶねにねかせるまえに、あなたがたを、私の幼子のそばに集めましょう。
 聖なる夜です。あなたがたは、祈りと潜心のうちにこの夜を過ごしています。しかも、私といっしょにすごしています。
 くら闇があらゆるものを包み、夜のしじまが、すでにすべてのもの音を、消してしまいました。ちょうどそのとき、とつぜん天から新しい光がかがやきわたりました。天使たちは、よろこびにみちあふれ、その音を世界中のひとけのない道々にこだまさせています。
 この砂漠である世界は、私から生まれて、人間となられた神を迎えいれるために開かれました。
 
 愛する子らよ、再臨は、はじめて来られたそのときと同じように栄光のうちに行われるでしょう。公審判のために、イエズスは、来臨されますが、この最後の来臨の前に、イエズスは、ちょうどこの聖なる夜のお生まれになったときと同じように、光栄をもって再臨されるでしょう。最後の審判のためにおいでになるその来臨は、それがいつなのか、そのときは、今はまだおん父の秘密のなかにかくれています。
 その "とき" 世界はすべて、無神論と頑固な反抗心、神の愛のおきてに対する反抗で、まっくら闇に包まれていることでしょう。そして、ねたみの氷が世界のありとあらゆる道をとざし、まったく人気のないものとしてしまうでしょう。こうして、かれを、迎えるために、だれも準備していないでしょう。
 地位の高い人たちは、もうイエズスのことなど、思い出そうともしないでしょうし、金持ちは、金持ちで、かれの前に戸をかたくとざしてしまうでしょう。そればかりか、かれの弟子たちでさえ、そのときは、もう自分じしんを探し求め、自分を目立たせることで手いっぱいになっていることでしょう…。

 「人の子が来るとき、地上に信仰を見いだすだろうか?」(ルカ18・8)。世界が、キリストの来臨に対して、なにひとつそなえていない、思いがけないときに、急に主は来られるでしょう。人間が準備しなかったその "さばき" のために来られるのです。ご自分の敵をうち負かし、それらを亡ぼして、この世界に、み国を再建しに来られるのです。

 この第2の来臨においても、御子は、その母を通して、あなたがたの所に来られるでしょう。おん父のみことが、あなたがたの所に行くことができるために、私のおとめの胎内を利用なさったように、イエズスは、あなたがたのなかに王となるためにも、わたしの汚れなき心をお使いになるでしょう。 いまは、私の汚れなき心のときです。それは、イエズスの愛の光栄にみちたみ国が訪れるための準備がすすめられているからです。

 愛する子らよ、私のように、かれを迎える準備をしてください。 この聖なる夜は、あなたがたにとって、一つのしるしであり、一つの恵みです。人類は、イエズスの前に大きな空白を作りました。でも、私はこの空白をみたすために、あなたたちを、この貧しいゆりかごの側に集めます。…

#240 私は慰めの母です 1982年1月1日

 きょう、新しい年が、神の母であるわたしの光のもとで、はじまります。この初日に教会は、わたしを母と呼び求め、母の保護をすべての人に示してくださいと願っています。
 きょう、あなたがたは、平和のたまものを神に願うためにも、集まってきました。この平和を、あなたがたは、平和のきさきと呼んでいるものの取りつぎで求めています。

 平和は、ちょうど主のご誕生日にあなたがたに与えられました。これは、主のいちばん大きなたまものです。
 あなたが見ているベトレへムにお生まれになったばかりの、弱い幼きイエズスは、平和の永遠の君です。その名は、"平和" 、そのたまものも平和、その使命はすべての人に平和をもたらすことです。
 イエズスご誕生のあの夜、馬ぶねのまわりで天使たちは、喜びにあふれて歌いました。「いと高き所には神に栄え、地には善意の人々に平和」と。
 神と人間との間の平和。この平和のためにこそ、おん父のみことばは、私のおとめの胎内に人となって、ベトレへムでお生まれになり、カルヴァリオ山のうえで、ご自分をいけにえにおささげになりました。
 全人類のあいだの平和。あなたがたは、神の子どもです。イエズスのまことの兄弟です。それでお互いどうしは、兄弟です。この兄弟愛のうちに生きることにこそ、人間どうしのあいだの平和の泉があります。なぜなら、平和のたまものは、愛の道にだけあるからです。愛の道は、神の法律とその "おきて" を守ることにあります。この "おきて" によって、神を愛し、自分自身と隣人を愛するように教えられています。正義と真理と愛にもとづく和合は、このおきてによってこそ、つくられるのです。人間が、平和の神を歓迎せず、かえって、頑固に否定し拒絶するかぎり、人権と社会権の利は保証されません。
 神のおきてを守るどころか、日増しに、しかもこれを公に犯すとき、人類は不秩序と不正と利己主義、そして暴力の道を進んでいきます。人間はこのためにこそ、戦争の脅威下にあります。この新しい年がはじまったきょう、わたしは世界のあらゆる道に、なんと大きな苦しみがまき散らされているのを見ることでしょう!
 食べ物もなく、保護も与えられない子どもたちの苦しみがみえます。見捨てられ、失望する若人たちの苦しみ、威厳をふみにじられ、支配と圧迫の餌食にされた男たちの苦しみ、自分の家庭が破壊されて泣いている婦人たちの苦しみなど、膨大な苦しみが見えます。
 人類に、世界戦争の新しい危険が近づいています。飢、戦争、憎しみ、暴力から来るこれほどの危険にさらされている、私のあわれな子らの上に何が待っているかを見ている私の悩みは、なんと深いことでしょう。

 きょうこそ、あなたがたの汚れなき母のマントの下にのがれてください。私は母として最近これほどの必要を感じたことは決してありませんでした。それは、あなたがたの苦しみに慰めを、失望には信頼を、また、期待はずれにがっかりするあなたがたには、希望を、あなたがたの悩みに安心感を与えるという必要です。
 これからは、あなたがたは、絶えず天の母の現存の慰めを感じることでしょう。偉大な清めになかでも、最も苦しい時期にはいろうとしているいまこの時、あなたがたが耐えねばならない苦しみが大きいだけに、なおさら、私の現存はあなたたちの強い慰めとなるでしょう。

 私は、慰めの母です。
 私の偉大な慰めを感じてください。私がずっと前からこんなにも予告しつづけてきた試練のこの血まみれの時代を生きるうえで、母の慰めは、あなたがたを力づけ、避難所となるでしょう。 そのためにこそ、きょう、わたしは、あなたがたみんなを、私のマントで包み、汚れなき私の心の避難所に集めます。そして、私に信頼し、子どものように、すべてをまかせるように、あなたたちを力づけ、祝福します。

#215 福音の力 1980年11月14日

 私の小さな子よ、あなたは、ここで、私の "とき" が来て、天の指揮者が世界中いたるところからその軍勢をつのってきたというしるしを体験しました。
 あなたがたは毎日のように、違った司教区で、何百名の愛する子ら、何万人の修道女や信徒たちとともにチェナクルムをして、多くの司教座大聖堂でわたしの汚れなき心に自分を奉献しました。
 私の呼びかけに答えてくれたあなたがたを通して、私の光は、日増しに教会に広がっていきます。こうして、教会は、新しい力と信頼をえて、すべての民族に福音と救いを告げるために、新しい飛躍をとげます。

 この巨大な国をごらんなさい。まだイエズスを知らないで、暗闇のなかを歩いていはいますが、自分たちにも、いつか真理と恵みの光の輝く日が訪れると期待して、待っている数えきれないほどのわたしの子らがいます。今は、世界のすべての国民に、救いの福音をのべ伝えねばならない時です。
 福音を、すべての被造物にのべ伝えねばなりません。もちろん、イエズスがお教えになり、聖霊が教会にお与えになったままに、でなければなりません。
 こんにち、福音は、文字どおりに保存されなければなりません。
 また、文字どおりに実行されなければなりません。
 伝えるのも、やはり文字どおりに伝えねばなりません。
 多くの人は、福音を人間的な水準におとして教えようと試みました。その歴史的で、超自然的な内容を無視して、福音のなかにある神的で奇跡的なことがらを、自然的な解釈をして歪めようとも試みました。この試みは、その結果として、福音のメッセージの力をぬきとり、これを伝えても貧弱な影響しか与えないようになりました。
福音宣教の力は、その忠実さと、真実性にこそあります。あなたがたの手にゆだねられた福音の宣教は、キリストのメッセージを、さまざまな文化に適応させることによってではなく、かえって、すべての文化を、キリストに導くことによってこそ、実現するのです。
 こんにち、福音宣教の、かつての力強さと、情熱が、もしこれほどまでに弱められていなかったら、ここにいる、わたしの子らの、どれほど多くの人々が、すでにキリストのものとなっていたことでしょう。
 
 私は、あなたがたの母です、そして教師です。私が、神のみことばを受け入れたように、また、これを守り、これに生きたように、今も、私の小さな子らであるあなたがた皆に、神のみことばを受け入れさせます。また守らせ、これに生きるようにさせてあげます。それで、あなたがたは、文字どおりに、神のみことばに生き、これをのべ伝えねばなりません。
 私が、あなたがたみんなに、福音宣教の情熱を分かちあいたいのは、そのためです。福音の光をうけて、世界のあらゆる国民に福音を述べ伝えなさい。私は、すべての国民の母であり、教師です。私の汚れなき心の完全な勝利は、私がすべての人を、私のおん子イエズスの所に連れていくそのとき、はじめて実現できます。

 私の汚れなき心のなかに生きなさい。イエズスに、全世界のすべての国民を "おくりもの" となさい。まもなく、私のおん子の、もっともせつなる望みが実現するでしょう。そのとき、5大陸のあらゆる所から、みんなが、わたしに導かれるままに、一つの群れになろうとして、ひとりの牧者のもとに馳せ参じるでしょう。
 でも、今はまだ、遠くにいるこれらの私の子らを、母のまなざしでやさしく眺め、あなたを通して彼らをみな祝福しながら、私の汚れなき心のなかにおさめます。

司祭のマリア運動 日本発刊『聖母から 最愛の子 司祭たちへ』ゴッビ神父への聖母マリア様の啓示

信徒通信』第50号 預言欄 に掲載いたしました

'87・5・29
'88・12・3