祝 聖ヨハネ・ボスコの記念(ドン・ボスコ)
『聖ヨハネ・ボスコのすすめ365日』より (ドン・ボスコ社発行 山本克己訳 ¥365.-)
若い時に身につけた習慣は一生のあいだつづくものです。もしそれがよい習慣であれば、わたしたちを徳に導き、霊魂のたすかりをえる確実性を与えます。しかしその反対に、もし、わたしたちが悪習にそまるようなことがあればわざわいのもとです。
カトリックの宗教は国の繁栄の土台です。というのは、もし人びとが、神に忠実でなければ、国家の権威者に対しても忠実でありえないからです。
扶助者聖母マリアのご好意をえるには、御子を尊敬しなければなりませんが、それを実行する二、三の手段をおすすめしたい。聖母から愛されるには、しばしば聖なる秘跡に近づき、できるだけひんぱんに聖体をうけること。それからミサ聖祭にあずかり、聖体にいますイエズスを訪問し、聖体降福式に参加し、主イエズス・キリストのために愛徳のわざにはげむこと。それは主が愛徳の行為をよろこばれるからです。
悪人の勇気は他の人のおそれのうえにたっています。みなさんが勇気をだしさえすればかれは翼をとじるでしょう。
危険と困難のときに、落胆せずに信頼をもって神に祈りましょう。そうすれば、神はご自分のために働く人びとに約束された助けを与えてくださいます。
告解の秘跡よりも美しくて、大切なものがあるでしょうか。神がわたしたちにこれ以上の恩恵をお与えになったどのようなことがあるでしょう。
つねに聖母マリアのみ名をよび、特に「キリスト信者のたすけて聖マリア、わたしのためにお祈りください」という射祷をもって、その助けをねがうように、わたしはせつにみなさんにおすすめします。短い祈りですがひじょうに効果的であることを体験しています。
善を行ったり、誤謬を排斥し、それと戦ったりするとき、あなたたちの信頼をイエズスとマリアにおきなさい。そうすれば人間的な考えを踏みつけ、殉教をもとげる用意ができるでしょう。
人の判断はだんとまちまちでしょう。どんなことをいってもかまいません、実際には神のみ前の判断だけが正しいのです。
現代教育学の一つのひじょうにいけない点は、教育において永遠の格言、特に死と地獄について話したがらないことです。
キリスト者にとって死は分離ではなく、再会の延期であるということは、信仰にもとずくものです。だから誰かがわたしたちに先だってなくなることがあれば、耐え忍びましょう。
他人の欠点を耐え忍びましょう。この世には完全なものはなく、ただ天国のみにそれが見出されます。
わたしの政治は「主の祈り」の政治です。主の祈りの中で、わたしたちは毎日、天の御父のみ国が来ますように。すなわち、そのみ国がますますひろまり、日増しに人に知られ、生き生きとして力強い栄光にみちたものとなることを願っています。み国が来ますように! これがもっとも大切なことです。
みなさん、わたしたちが創造されたのは、創造主である神を愛し、つかえるためであって、神への畏敬がなく、全世界の知識や富を獲得しても、それはわたしたちになんの利益ももたらさないことを肝に命じておきなさい。 この神への聖なるおそれから、この世と永遠のすべての善がもたらされるのです。
まことのカトリック信者のしかえしは、侮辱した人のためのゆるしと祈りです。
わたしがおそれるのはただ二つだけ。霊魂に死をもたらす大罪と、神と不和の状態にいる人を不意に襲う、体の死です。
福音書に書かれているのは、悲しむ人は幸いであるということで、決して楽しむ人は幸いであるというのではない。
わたしたちの仕事をのぞんでおられる神は、それを実行に移す手段もお与えくださるでしょう。一つの目的のために働く人は、手段を用いる権利があり、それが与えられるのは確かです。
この世の将来はひじょうにくらい。しかし神は光であり、処女聖マリアはつねにあけの星です。だから神と聖母マリアに信頼しなさい。
宗教に関しては、わたしは教皇さまに味方します。よいカトリック信者として死に至るまで教皇さまとともにとどまるつもりです。
教会の、目に見える頭における神からの権威の起原は、聖なるカトリック宗教の土台です。
わたしたちの聖なる宗教は、人を天国の最高の幸福へ導くとともに、社会に役立ち、物質的にも利益であり、あらゆる不幸においてたすけとなるのです。すなわち不幸な人を助け、悲しむ人を慰め、生活の不慮の事故にあう人を照らし、逆境において人をささえます。
兄弟のようにおたがいに愛し、助け、欠点を耐え忍びなあいなさい。そうすれば神と扶助者聖マリアのたすけが必ずあるでしょう。兄弟のように愛し合うことをわたしに約束してください。
わたしたちは一つの霊魂しかもっていません。もし二つもっているとすれば、情欲を満足させるために一つを悪霊に与えることができるでしょうが、霊魂は一つしかないのですからこのことをいつも忘れないでください。
貞潔は処女聖マリアのみ心にいちばんかなう徳です。この徳があれば、あなたがたにはすべてがあることになりますが、この徳がなければなにもないのです。
よい本であるかどうか確かでないとき、あなたに正しい判断を与えることができる人のすすめをきかずに、その本を読まないように。
今日、行うことのできる善行を、あすにのばさないように。もしかしたら、あすは、もはや時間がないかもしれないから。
よいカトリック信者として生活をおくることをのぞむ人は、宗教、聖職者特にすべてのカトリック信者の父である教皇について、悪く話す人に注意しなければなりません。自分の父について悪くいう人は、いつも悪い子だといいなさい。