'91・4・15

主よ、聖霊を伴って私どものもとに力強く訪れて下さい。それは、優しいお父さま、あなたが御子に栄光を与え、御子があなたに栄光をお与えになったように、聖なる真理の霊が御子に栄光を与える時が来たからです。ただ紙に刷られた文字でないみことばには いのちがあり活力があることを 世に証明して下さい。あなたの聖なる霊が「父の心を子に向かわせ、子の心を父に向かわせ」て下さいますように。(Ml 3:24)
あなたに平和。 ヴァッスーラ、聖書は決して偽らない。 来るべき終わりの日には、宗教の外観を装いながらもその内なる力を拒むようになる、と書かれてある(第二テモテ3・5)。

ああ! まこと愛する者よ、私が戻って来た時に信仰は残されているだろうか?…

— 我が教会の内なる力は その中で生き生きと躍動しておられる聖霊。 からだの中に心臓があるように 教会である私のからだにとって心臓となっている。
— 我が教会の内なる力はその賜と恵みを自由にあたえ 分配する聖霊、教会はその恩恵を受けている。
— 我が教会の内なる力は聖霊、みことばを思い出させる方、新しい啓示はないが、同じ霊による同じ教えを現される。
— 我が教会の内なる力は聖霊、あなた方を変容させ、引き上げ、私自身の真の生き写しに変える。
— 我が教会の内なる力は聖霊、あなた方を元気づけ、浄め、その霊を火の柱に変える炎です。 熱した愛の溶鉱炉、光の生けるたいまつ、みことばを恐れなく宣言し、至高者の証人となり 天のことしか探し求めないように諭す ♡
— 我が教会の内なる力は聖霊、あなたを生かすいのち、そして呼吸 あなた方の霊に私を望ませ:お父さん(アッバ)、と呼ばせる。
もし、我が子よ、私を拒むなら、そして聖霊の賜物を押さえつけてしまうなら、私にたいしてどんな奉仕を行ったり捧げたりできようか? 宗教の外観を保ちながら、むなしい議論で、私の神聖な側面を制限して、その内なる力を拒む亡骸となってしまわないように。 聖霊を熱心に愛する生活を送り、子として私のもとにやって来る人びとを止めないでほしい。 この人びとを私の聖霊との婚姻に招くのは私。 聖となる秘訣は: あなたの神 私を熱心に愛すること、そしてあなたのうちに住む私の霊が道を案内し 天のことを教えなければ、自分の力では何もできない。
 
まことに言う、私を畏れる者は我が懲らしめを受け入れる。 だからもう眠ってしまわないように、目を覚まし 注意している時が来た。 耳を開き 私の霊が語ることを聞く時が気た、それを無視してしまわないように。 今は誤って賢人の真似をし 聖霊の息吹を追いやって、教会の中でこれを元気づける力を押さえつけてしまう時ではない。 慎重でありたいのか? では目を開けなさい。 慎重でありたいのか? では頭ではなく心と耳を開くように、友よ。 慎重な人は霊の忠告を決して軽蔑しない。 高慢な人だけが畏れについて何も知らない。 主にたいする畏れは知恵のはじまり。 慎重でありたいのか? 不幸なあなたを救おうと、手を必死に差し伸べる真理を 探し求めなさい! みじめで罪深いあなたに身をかがめ、その墓から引き上げ、もう一度息を吹き込もうとしている者が誰であるかを見るように!

さあ! 私を誤解しないでほしい。 あなたを強制してはいない、それに自由を侵そうとも思わない! あなたの時代を哀れんでいるのです。 私の言おうとすることはすでに言い尽くされたと言わないでほしい。 自分たちの制約をどうして私にも当てはめるのか?

私はみことばを思いださせる者、そう、教会の内なる力 そして自由に新たな前兆を送り 新鮮で不思議なわざを行う。
私は自由にあなたの時代を引き上げ 我が聖心の豊かさから癒しの油を注ぐ、望む時に、望む者の上に、今や荒廃して横たわる我が教会を造り上げている、そう、新しく建て直しているのです。 だから、時代よ、裁きの日にあなたと対面し こう言わせないでほしい: あなたは私が造り上げようとしている時に打ち壊し 私を迫害する一人だったと。 今慈しみはあなたの戸口にあり、苦難の日々に戸を叩いている。 自分たちが聖であるというのか? 私を礼拝し 聖である証しを立てなさい。 あなたが改心させて私のもとに連れて来る霊魂たちを示し、自分たちが聖である証しを立てなさい、それは私の王国が 語られる言葉によらず、宗教の外観にもよらず、我が聖霊を通して、私だけが与えることのできる内なる力によるものだからです。それを探し求めるなら。 私の存在と、あなた方一人ひとりに抱いている愛を感じなさい。 私、イエス・キリストは現存する、そして我が聖心の深みよりあなた方皆を祝福し、額に愛のため息をのこす。 一致するように。 教会は生き返るであろう ♡