'90・11・15

「神よ、あなたの慈しみをとこしえに歌い、あなたのまことを代々に告げよう。 その慈しみはかわることなく、まことは天に基づく。*」けれど今度は、ギリシア正教神学者が私を攻撃し、メッセージを迫害しています。ああ、主よ、あなたが私の助け、慰めだと彼らに分からせて下さい。あなたの偉大な愛があってこそ、私もほかの人びとも救われたのだと。
詩編89・1~2。

我が聖心のヴァッスーラ、* 聖霊が道を案内してきたのです、そこで神学者の結論を気にしないように。 人間的な思考や教義によって 我が教会を荒涼とした砂漠に変えてしまったことを理解する霊を 彼女も受けるようにと祈りなさい。

*イエスはわざわざ私をこう呼ばれたのです。「聖心」という呼び方はギリシア正教にありませんから。

主よ、あなたが乞食のように私どもの愛を乞うていらっしゃるというメッセージを読んで、彼女はショックなのです。

彼女は読まなかったか:「主人が帰ってきたとき、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いである。あなたたちによく言っておく、主人が帯をしめて、その僕たちを食卓につかせ、そばに来て給仕してくれるであろう。*」 ♡ 私は全能、荘厳な義の神としてだけでなく 非常に優しい父親としても知られている そして我が霊に動かされた者たちだけが 私を: アッパ ♡ と呼ぶであろう。 私は憐れみに満ちた神 その慈悲には限りがない。

*ルカ福音書12・37。

主よ、あなたとこの親密さが彼女の気を深く損ねています、甘くオセンチだと言って!

彼女は私の傷痕の洞察から理解するにはいたっていない。 私の傷痕の洞察から入っていったなら この傷こそ彼女への愛ゆえだと理解したであろう、友のためにいのちを捨てるほどの大きな愛はない、そしてあなた方は、皆 私の友、私は愛ゆえに いのちを捨てた。 しかし娘よ、これがあなたに割り当てた十字架、覚えておくように、私もともに担っている。 あなた方* を一致させるには義の介入がなくてはならない。 我がヴァッスーラ、終わりまでいつもともにいる、それで こわがったり悲しんだりはしないように。 こうした者たちが追って来ると、天使よ、私には初めから分かっていた、猟師のように各々が自分の武器を持ち出して追って来るであろうと、それはあなたのではない民に 遣わしているからです、あなたの国たみの指導者たちは あなたを迫害し 拒んで好きなようにあしらうであろう 私が運ぶようにと手渡したものは人の教えでなく 私の教えだからです、そして私の言語や教えは浸透していかないで、彼らは反発し あなたをペテン師として扱う。 世があなたを責めるであろうと すでに言っておいた、しかし責められている間も、私に教わったことを世に宣言しなさい。 娘よ、私の言語が世に理解されないとしても それは彼らの教義が愛としう真理に基づいていないからです。 私はあなたをエジプトから連れ出し、我が教会を一致させるために、あなたのではない民のもとに遣わした、しかしまだ誰も 一致への全道程を知る者はなく 我が計画の糸口を把握している者は まだいない。 歩ませようと準備している道にまだ誰も気づいていない。 英知が持っておられる一致への鍵を 神学者も哲学者たちもまだ見つけていない。
私は語っているが、私の者たちだけが私の言葉を受け入れ、彼らは受け入れようとはしない。 私は私の者たちを知っている そしてこの者たちも私を知っている。 そこで 我がヴァッスーラ 決められた時を前にして 働きなさい。 我が十字架を任せた、愛をもってそれを担いなさい、間もなく ほかと比べようもない大きな悲しみの時が訪れよう、しかしその後間もなく 我が家からはこの砂漠を灌漑すべく泉が湧き出でよう。 そう 勇気を 娘よ、愛を込めてこの木を肩に担いなさい 何ごともむなしくはならない、たとえ雨の最初の雫で 土が** 洗い流されようと、あなたの霊魂は永遠にながらえる。 こうして死は勝利に呑まれよう ♡ 愛がそばにいて 道を案内する、そこでこれら哲学者や神学者たちに警戒していなさい、彼らの受ける裁きはいっそう厳しいであろう! 私を祝福し 親密さの中にも私が聖であることを決して忘れないで 教わった通りに私を愛しなさい ♡

*諸教会。    **言い換えますと:「塵と灰に過ぎないあなたは、死んでも、その霊魂は永遠です。」