祝 天の元后聖マリアの祝日

今日の暦については当時、昭和39年度版の『主日のミサ典書』(ドン・ボスコ社 バルバロ訳編)では、下記のように説明されています。

八月二十二日 聖マリアの汚れなき御心 二級第祝日
 1942年12月8日、教皇ピオ12世は、当時全世界をまきこんでいた艱難を終わらせるために、全人類を、聖マリアの汚れなき御心にささげたのである。
 1944年、5月4日、同教皇は、全人類を聖マリアの御心にささげた記念として、この祝日を全教会で行うことと定めた。
 さかのぼって、1844年、日本宣教のため那覇に渡来したパリ外国宣教会フォルカード師は、5月1日、全日本を「聖母のいと潔き御心」(当時の名称)に奉献し、これを日本最上位の保護者とあおぐことを規定し、礼部聖省の認可をうけた。日本における本日の祝日は「一級大祝日」として祝われる。

『日本の奇跡 聖母マリア像の涙 秋田のメッセージ』安田貞治著では p260~261

日本の再布教

 殉教の血にいろどられた259年を経て、ようやくフランスのパリ外国宣教会の一員フォルカード師が、日本の再布教を志して渡来した。1844年5月1日、琉球那覇港に到着した彼は、軍艦内の病室でミサを捧げ、感謝の祈りにつづけて”聖母の汚れなきみ心”にこの新布教地を奉献して祈った。この祈りを、少し長いが、浦川和三郎師著の「切支丹の復活」(前篇)から左に引用紹介しておきたい。

「ああアリアの至聖なる聖心、諸の心の中にも至って麗しく、清く、気高き聖心、善良柔和、哀憐、情愛のつきぬ泉なる聖心、諸徳の感ずべき奥殿、いと優しき美鑑なる聖心、ただイエズスの神聖なる聖心に遜色あるばかりなる聖心よ、我はきはめて不束なる者なれども初めてこの琉球の島々に福音宣教の重任を託されるたるにより、我力の及ぶ範囲内に於いて、この島々をば特に御保護の下に呈し奉り、奉納し奉る。その上、いよいよ布教を開始して、その基礎を固め、この島人を幾人にても空しき偶像崇拝よりキリスト教の信仰に引き入れ、一宇の小聖堂にても建設するを得るに至らば、直ちにローマ聖座に運動してこの国を残らず、公に又正式に御保護の下に託すべきことを宣警し奉る。
 ああ慈悲深きマリアの聖心、神聖なるイエズスの聖心の前に於いていとも力ある聖心、何人たりともその祈祷の空しかりしを覚えしことなき聖心よ、卑しき我祈願をも軽んじ給はず我心を一層善に立ち帰らしめ、数々の暗黒に閉され居るこの心の雲霧を払ひ給へ。
我は大なる困難、危険の中に在るものなれば、願わくは、謙遜、注意、鋭智、剛勇の精神を我が為に請求めさせ給へ。
全能、哀憐の神なる聖父と聖子と聖霊とはこの賎しき我を用ひて『強き所を恥ずかしめ、現に在る所を亡し(コリント前1・28)』幾世紀前より暗黒と死の蔭とに坐せるこの民をば福音の光と永遠の生命とに引き戻し、之に立向はしめ、辿り着かしめ給まへ。 アメン。」