福者ヨハネス23世 『わが祈りの日々』より

8月5日 諸国民の嘆き

 諸国民のなげき。 この嘆声は、ヨーロッパ内外の各地から私の耳にきこえてくる。陸に海に空中に荒れ狂う大量殺人的戦争は、神の正義の報いにほかならない、人類社会に課せられた神の法令が侵犯されたからである。 神は、ある国民を加護し、その中の義人とその中で行われる善行のゆえに、その国民に不死身と勝利をお与えくださるはずだと主張し、げんにそういいはっている人々もある。神はある意味で、諸国民を形成したにしても、諸国の憲法は人々の自由選定に一任されていることを、忘れているのである。万民に対して神は、社会における生命法則を指令し、福音書がその法典をなしている。
 霊魂と国民とのための生命法則が、正義と普遍的均衡、富や快楽や俗権の使用制限を定める。この法則がやぶられるのにつれて、容赦なき恐ろしい制裁が自動的に発動する。これをのがれうる国は、どこにもない。それぞれに適時に制裁をうける。戦争は最も恐るべき制裁の一つである。それは神の求めたものではなく、人間・国民・国家・為政者によって招かれたものである。地震・洪水・飢饉・疫病は、盲目的な自然法則が適用されたもので、物質界は知性も自由もないから盲目的というのである。これに反して戦争は、神法を無視して、故意におこされるものである。だからこそ、いっそう重大なのである。戦争を勃発させ、助長するものは、いつでも「この世のかしら」(ヨハネ12・31)で、「平和の君」(イザヤ9・6)キリストとは無関係である。
『魂の日記』より 1940年