『カトリック教会のカテキズム』より

#1181 祈りの家は聖体祭儀がそこで行われ、聖体が安置され、信者たちがそこに集まり、わたしたちのためにいけにえの祭壇においてささげられたわたしたちの救い主なる神の子の現存が信者の助けと慰めのために礼拝される場所なので、清らかで、祈りと典礼にふさわしいものでなければなりません。この「神の家」では、建物全体に利用されているデザインやシンボルなどは、教義とも合致し、しかもそこに現存して活動しておられるキリストを全体的に調和が取れた形で現すものでなければなりません。

#1182 新約の祭壇は、過越の神秘の諸秘跡の源であるキリストの十字架です。教会堂の中心である祭壇上で、パンとぶどう酒の形態のもとに十字架の犠牲が現在化されます。これはまた、神の民が招かれている主の食卓でもあります。幾つかの東方教会では、祭壇は聖墓の象徴(キリストは実際に死に、実際に復活されたことを意味するもの)でもあります。

#1183 聖櫃は「聖堂の中の尊い場所に尊敬を尽くして」安置されなければなりません。聖櫃の品位、位置、安全性などは、聖体の秘跡に真に現存されるキリストの礼拝を助けるものでなければなりません。

#1186 教会堂には終末的な意味もあります。神の家に入るには、敷居をまたがなければなりません。この敷居は罪によって傷つけられた世界から、すべての人が招かれている新しいいのちの世界に移ることを象徴しています。見える教会堂は、御父の家を象徴するものです。神の民はその家に向かって歩み、そこで御父は、「彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださ」(黙示録21・4)います。したがって、教会堂は神のすべての子らに扉を大きく開き、歓迎してくれる神の家でもあります。

#1187 典礼は、全キリスト、すなわちその頭とからだとの行為です。わたしちの大祭司キリストは、天上の礼拝で、聖母マリア使徒たち、すべての聖人、すでにみ国に入った数多くの人々とともに、たえず挙行されておられます。