お詫び

*『信徒通信』7月号聖母欄において誤字がありました。読みづらくて申し訳けありません。


#443 パンだけではなく 1991年2月26日

 この数日間、あなたたちが、祈りと兄弟愛のこのたえざるチェナクルムに、これほど沢山集まっているのを見て、私の汚れなき心は慰めされています。あなたたちは、私がこれほど愛し、また私の敵が日増しに攻撃を加えているこのブラジルの全国各地からやってきました。
 ここで生活し、苦しんでいる教会と、まだ沢山の困難や危険にさらされているあなたたちの祖国を、今日私は、私の汚れなき心の花園に歓迎します。私の子すべてが、私の汚れなき心に自分を奉献し、清めと偉大な"艱難"のこれらの時のために、私が準備してあげた安全な避難所に、できるだけ早く入れるように招きます。
 私は、あなたたちみんなのために、愛情深く、理解ある母です。私は、あなたたちを、平和と祈り、聖徳の道、すなわち、私たちの贖い主であり、救い主であるイエズスとの最も深い一致の道に連れて行きたいのです。
 私は、使徒職におけるあなたたちの奮発心を見ています。また、あなたたちの大きな困難をも知っています。それで、私は、あなたたち毎日の苦しみの重荷を一緒に担います。特に私が愛をもって見ているのは、最も貧しい人、排斥されている人、さげすまれている人たちに対するあなたたちの献身的な奉仕です。それは、これらの人たちを貧しさと困窮の奴隷的生活からから解放するための奉仕です。私は、あなたたちの母として、あなたたちの手をとって、すべての真理を理解するように導きます。

人は、パンだけで生きるのではありません。
 人は、その心の飢えをいやすために、神の口から出るすべてのことばによって、生きるものです。物質的な貧困の他に、霊的な財産のもっと大きな貧しさがあります。
 この霊的どれい制度のくびきにあえぐ私の子らは、なんと多いことでしょう。その人々は、神の否定を土台とする誤ったイデオロギーの犠牲となる人たちです。理論的、また、実践的無神論の謬説は、どれほど広がっていることでしょう。そのために多くの人は、神が存在していないかのように生きています。その人たちは、この国にますます広がっていく種々の宗派に入るために教会からはなれていく人たちです。なぜそうなるのでしょう。それは、私の沢山の子らの飢えている心が、もうすでに神のみことばのパンで養われていないからです。
 この霊的食物を豊かに与えるように、あなたたちに願います。特に、私に奉献された最愛の子らであるあなたたちが、すべての人に福音の光を伝えるために、ますます努力するように願います。福音を、勇敢に、恐れずに伝えなさい。それを完全に明らかに与えなさい。私の子イエズスがなさったのと同じ力づよさをもって福音をのべ伝えなさい。こうして、すべての人が、教皇と、そして教皇と一致している司教たちの教導職に対して、最も深い従順のうちにまことの信仰の道を歩めるように助けてあげなさい。

人は、パンだけで生きるのではありません。
 人は霊魂の飢えをいやすために、イエズスが与えてくださった神の恵みによって生きるものです。物質的な貧困の他に、もっと大きな、そしてもっと危険なものは、霊的貧しさです。この貧しさは、私の多くの子らを、悪と罪、みだらな邪欲、中でも不潔のどれいとし、重いくびきとなっています。この悪は、あなたたちのまわりに、どれほど大きいことでしょう。
 私の敵の"罠"は、なんと腹黒いことでしょう。彼は、しばしば、貧しい人、利用されている人の傷をいやすために、あなたたちに、司祭としての全力を尽くすように刺激しますが、こうして、あなたたちにとって何よりも大切なことを忘れさせています。それは、罪人と悪人のもっと深い傷を考えることです。飢え死にしているこれらの人々に、神の恵みの糧を与えなさい。そのためには、人々が、神のあわれみの泉にたち戻るように助けてあげなければならないのです。それは、罪のゆるしの秘跡を願う人に、あなたたちは、いつも承知することです。
 それは、あなたたちにとって、よい時です。なぜなら、改心と神にたち返る時だからです。最愛の子らよ、亡びる危険にあるたくさんの霊魂の救いのために、あなたたちは、ゆるしの秘跡をさずけるようにしなさい。

人は、パンだけで生きるのではありません。
 人は、心の飢えをいやすために、天からくだった生けるパンによって生きるものです。こん日、どれほど沢山の人たちが、傲慢、きりのない利己主義、吝嗇、憎しみ、暴力、そして愛の大きな欠乏という恐ろしいどれい制度のうちに生きていることでしょう! あなたたちを救いにみちびく道は、交わりと愛の道だけです。それで、イエズスは、聖なるご聖体のはかり知れない賜をくださいました。
 イエズスがご聖体のうちにおいでになるのは、あなたたちの霊的生活の糧となって、本当に愛する能力をあなたたちのうちに養成するためです。
 イエズスが、ご聖体によってご自分をお与えになるのは、あなたたちの中で、あなたたちと共に、また、あなたたちを通して愛するためです。 
ご聖体のイエズスは、天からくだった生けるパンです。もう飢えることがないように食すべき糧です。もう渇くことがないように飲むべき水です。
 ご聖体のイエズスは、こん日、これほど分裂していて苦しんでいるあなたたちの教会、そして、これほど重い病気で危険にさらされているあなたたちの祖国のために、よいサマリア人となりたいのです。
 ご聖体のイエズスは、あなたたちをみな、愛と和解、交わりと平和、あわれみと救いの道に導こうと望んでおられます。柔和で、謙遜なイエズスのみ心に倣いなさい。そうすれば、あなたたちの霊魂は休むでしょう。
 今年、ブラジルは、全国聖体大会を行います。あなたたちの教会と祖国が、ご聖体のイエズスを深く礼拝して、ひれ伏しますように。

 みんなが、おいでになるイエズスに、門を開くようにと、私は願います。私は、再臨の母、そして、新しい時代に開かれる門です。この新しい時代は、イエズスのご聖体の王国の最も偉大な勝利と共に来るでしょう。
 このために、この特別な一年のうちに、ご聖体に対する礼拝とつぐない、愛の表敬があらゆる所で、再び開花するように呼びかけます。あなたたちの教会において、公式礼拝の荘厳な聖時間をもち、再び聖体賛美式をするようにつとめなさい。
ご聖体が、あなたたちの祈りと生活、表敬と教会的集いの中心となりますように。
 こうして、ご聖体のイエズスは、今日も、そのみことばをもって知恵の飢えを癒し、その恩寵をもって霊魂の飢えを癒し、その愛をもって、あなたたちの心の飢えを癒されるでしょう。
 またさらに、イエズスは、肉体的、霊的、道徳的な諸々の奴隷の鎖から、まことの解放という大きな賜をお与えになるでしょう。
そうすれば、あなたたちみなのうちに、神から創られ、愛され、贖われ、聖とされて救われた神の子としての貴い尊厳が、再び輝くことでしょう。
 今、このチェナクルムを去るにあたって、あなたたちはブラジル全国における新しい福音化の使徒となりなさい。私は、汚れなき私の愛をもってあなたたちと一緒に生き、母としての私の祝福で、あなたたちを支えます。

『司祭から最愛の子 司祭たちへ』ゴッビ神父 司祭のマリア運動発刊

'88・6・7
'88・6・10