祝 パドアの聖アントニオ司祭教会博士の記念日

「…先だっては、リミニで魚に説教したという話しですよ。…魚がみんなマレッチア川の表面まで出てきて、アントニオの話しを聞いたそうです!」
「まさか!」
「でも、そういううわさなんです。彼は、あのあつかましい異端者の誰かに説教していました。…あの、この世を楽しく生きるべきだと思っていない連中のことです…」
「ええ、そして?」
「そしてね」最初の男は、自分の話しに熱中して続ける。「その異端者どもは、彼が川ばたで説教をした時、聞こうとしなかったんですが、そしたら、アントニオはどうしたと思いますか。アントニオは彼らに背を向けて、魚に説教を始めたんだそうです。ちょうどアシジのフランシスコが、小鳥に説教をしたように」
「そんな!」
「そうなんですってば。それから、どうなったと思います? アントニオが魚どもに、美しい清らかな水や、緑の水草や、豊富にある食物やらの、神様がくださった賜物について話し始めると、魚が全部水面に上がってきて、アントニオが話すことをじっと聞いていたそうです。 すると、アントニオは異端者の方を向いて、こう言ったそうです。『私は、あなたがたの不信がいっそう不思議なものとして驚かれるように、魚に向かって話しました』するとですよ、異端者たちは非常に心を打たれたので、アントニオによって福音の真理に改宗したそうです」…『パドアの聖アントニオ』ノーマン・ペインティング、マイケル・デー共著 中央出版社刊P147~P148より

…「ねえ、ルッジェロ」アントニオは言った。「時が過ぎるにつれて、人生観がどんなに変わるか考えてみれば不思議なものだね。自分自身の知識に盲点があるというのは、不思議なことだ。ぼくはキリストに従わんがために、キリストに一致しようと努力して、いつも自分自身のことを考え続けてきた。ほくはキリストを求め続け、自分の難儀や試練や闘争や犠牲や誘惑や、キリストに至るまで乗り越えなければならないものすべてを考え続けていた。ぼくはこのキリストとの一致を、努力して得る報償、獲得されるべき理想だと思っていた。だからこそ、それを手に入れようとして落ち着いていられなかったのだ。ぼくは間違っていたことが分かったよ」
ルッジェロは当惑してアントニオを見つめた。
「間違っていたと?」彼は叫んだ。「しかしアントニオ、どういう意味だ?それがキリスト教徒としてのわれわれの人生ではないか。われわれは神との一致という目標めがけて、たえず前進しなければならない旅人ではないか」
「君の言う通りだ、ルッジェロ君。しかし、それは真理の全体ではない。そこでぼくは間違ったのだ。」
「では、今は真理全体を知っているのか」ルッジェロは言った。
「多分まだ全部ではあるまい。しかし目があいて、今までよりはっきりと、より深く人生の意味が分かるようになった」彼はことばを切り、話題を変えるかのように言った。「エマオへの途上にあった二人のお弟子に起こったことについての聖ルカの記述を覚えているかい?」
「主と道連れになって歩いていたのに、それを知らなかった話のことかな?」
「そのとおりだ」アントニオは言った。「それが、ぼくが一生を通じてしていたことなのさ。ぼくは主を求めた。次の丘を越えればそこに主がましますだろうと思った。しかしずっと主はこちら側に、いつもぼくとともにましましたのだ」
「少しボクには深淵すぎるな」ルッジェロは答えた。
「ぼくは、キリストがわれらのために死に給い、そのご生涯の模範と恩寵を残されたことを知っている。しかし死の時までは、主とこの身をもって共にいることはできないのだ。それまでは、われわれはその分を尽くさなければならない」
「ああ、ルッジェロ、君はちょうどぼくがあれほど長い、駆り立てられるように落ち着かない年月の間考えていたとおりのことを言っている。そう思ったからこそ、落ち着けなかったのだ。今も言ったように、ぼくは艱難辛苦を主に至るために、ぜびとも克服しなければならないものと考えていた。今ぼくは、主が艱難のこちら側にましますことが分かった。主は常に、今ここにましましたもう。主は、ぼくのそばに立たれて、いつも困難に立ち向かうために必要な力と励ましを与えてくださるのだ。われわれはもう主を発見されているのに、一心に主を捜し求める。事実はこうだ。もし、すでにキリストを見い出していないのならば、われわれはこうまでキリストを追い求めないだろう」
「からかってはいかん」ルッジェロは言った。「ぼくは、そういうややこしい議論が分かるほど学問がない」
「あやまるよ、ルッジェロ」アントニオは急いで言った。「君にというより、自分に言っていたんだ」
「それならいい」ルッジェロは答えた。
「では続けたまえ、できるだけ理解に努めよう」
「達成されていなければならないもののために努力しているうちに」アントニオは続けた。「自分のすでに持っていたものを忘れてしまった。ぼくは、救い主を克ち取らなければならぬ報償と考えていた。— 今ぼくは、それが価なくして与えられていたことに気がついた」
「すでに価なくして与えられていたもの?」ルッジェロは、アントニオの言わんとするところを捉えようと努力しながら
くり返した。それでもこれは彼の理解の及ぶところではなかった。
「心配そうに見たもうな、ルッジェロ」アントニオは静かにほほえんで言った。「ぼくはただ、聖パウロがすでに言っていることを言っただけだ。『御父はその御ひとり子をわれらに降したまえり。こうしてその賜物は…』そうなのだ。君、われわれはすでに…すべてを与えられているのだ」
「すべてとはなんのことだ?」ルッジェロは口の中でつぶやいた。
「キリストにおける無限の富のことだ」アントニオは答えた。「主を魂の奥に所有したてまつることにより、生命の泉の源と平安と歓喜を所有するのだ。われわれはまるで、それがわれわれの外、どこか前方にあるかのように走り続ける。これが現在にではなく、未来に生きるという誤りを犯す理由なのだ。」ぼくはいつも自分自身から出て行き、自分を失った。今ぼくは自分の中に入ることを学び、自分を見いだした。ぼくの魂の奥底に、ぼくの愛したてまつる主を見いだしたからだ」…
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