主の御昇天 前晩

の御昇天

 死と地獄とにうち勝ったイエズスは、御復活後四十日経って弟子らの眼前で天に御昇りになった。 われらの救主イエズスが、御昇天になったことを、公教会と心を合わせて喜び祝おう。イエズスが天にお昇りになったのは、われらのために天の門をひらくためであり、また、聖パウロのいうように、いつかわれらを御右に坐らせるためである。
 聖レオ教皇の言葉によると、われらは、キリストの聖寵によって、悪魔のねたみによって失ったものに 比較にならないほど多くのものを得たのである。

ミサ聖祭
教会は、主の天に去り給うたことを悲しまず、希望とよろこびとの中に祝っている。 よろこびをもつべきは何故か? 教会は、光栄のキリストの感情と一致し、別れはあっても、救主と密に一致しつつ止まるからである。<集祷文>
希望をもつべきは何故か? 教会は、常に、天使のかの言葉、「天に行き給うのを見たようにまた、同様にして来給うであろう」<入祭文、書簡>と知るからである。

主日のミサ典書』より 昭和39年度版 ドン・ボスコ社発行