祝 聖ヨハネ・ボスコ(ドン・ボスコ)の記念


『天の母の警告』デルコル神父著 世のひかり社刊より
ドン・ボスコの夢

 
二本の柱(1862)
 1862年のいわゆる二本の柱の夢というものがあります。 
その予言的な夢では、教会を示す教皇の指令艦と、これに従う他の船(教皇に従う司教たちの船)が大変な嵐にあい、そのうえ、敵の艦隊に攻撃されていました。この攻撃が政治的なものでなく、精神的なものであるというしるしに、その武器として使われているのは、主として、各種の書物と印刷物でした。つまり、この攻撃は、思想上の攻撃であることが示されているのです。夢では、教皇がうち死にして、次の教皇が選ばれ、戦いがつづきます。そのうち2本の柱が見えはじめましたが、一本の柱の上には、無原罪のおんやどりの聖母のご像があって、その下に、「キリスト信者の助け」と書かれていました。もう一本の柱は、これよりも、ずっと大きく、高くそびえていて、柱の上に大きなホスティアがあり、その下に、「信じる者の救い」と書かれています。
 この二本の柱をあおぎ見た教皇は、指令艦をその柱の間に導き入れ、両方の柱から出ている鎖で、自分の船を安定させました。これに他の司教たちの小さな船もならったのです。すると、たちまち大混乱が起き、それまで教皇の艦隊に戦いをいどんでいた敵の船が互いに、ぶっつかり合いはじめました。こうして、敵の船は、沈没し、そのあとには、大なぎの静けさだけがありました。これは、教会をその危機から救うものは、ご聖体と聖母信心であるというしるしなのです。

ドン・ボスコの二つの予言
ドン・ボスコの伝記には、この大天災に関係のあと二つの予言があります。この予言は夢でなく、まぼろしのなかで受けたものです。
 この予言では、まもなく実現されるはずの事件と、ずっと後に実現されるであろう「天的一大災難」と、これにつぐ「教会の凱旋」が示されています。 もちろん予言ですから、それも百年も前の、しかもまぼろしの中でシンボル的に表現されたものですから、わたしたちの望む正確さはありません。神秘的なベールに包まれているといわねばなりません。いくぶん旧約聖書にみられる形式を感じさせられます。
 予言の一つは、1870年のご公現の祝日(1月6日)に関係があります。この日は、第一次バティカン公会議の第2の議会が行われた日にあたり、教皇を先頭に教父たち(司教たち)は、荘厳な信仰宣言をしました。聖ドン・ボスコが、予言のまぼろしをみたのは、ちょうどその前日で、それは、これをすぐ文書にしたため、1月12日に教皇に渡しました。
 それは、「神だけがすべてでき、すべてを知り、そして、すべてをみとおされる」という言葉ではじまり、いくつもの部分に分けられています。
 第一の部分にみられる予言は、フランスについてであります。神のおきてをすてたフランスにまもなく起こる天罰がのべられ、これは、すぐに実現されました。
 次の部分は、公会議教皇ピオ9世に対するメッセージで、ここには、教会が出会うはずの困難と反対、そして、聖母の特別なご保護の約束があります。
 三番目は、祝福の地イタリアについての予言です。ここにも、信仰をすて、祝福に答えなくなったために、ふりかかる種々の天罰が予言されています。そのいくつかは、すでに教皇ピオ9世の時に実現され、そののちにも実現されました。
 最後の部分にあるのが、「激しい嵐」の予言です。
 とくに目をひくのは、「花の月(5月)の二つの満月が終わらないうちに、ふたたび地上に平和がもどり、教会の上に偉大な勝利がかがやく」という予言です。この勝利は、聖霊降臨以来かつてなかったほどの教会の発展であることが示されています。
 以上の予言は、第一の予言と呼ばれているものですが、1873年の第二の予言はすべて、最後の一大災難を述べています。

 これは、「暗い夜であった」ということばではじまっています。
 これによれば、教皇は、「突然生じてくる激しい嵐のために、ローマを逃げ出さねばならなくなります。この嵐で、夥しい(おびただしい)人が死にます。そのとき、ふたりの天使が、旗を手にして近づくのが見え、天使は、その旗を教皇に渡しながらいいました、”世界で一番強い軍勢をもって攻撃してきても、かならずこれを追いはらうお方の旗を受けよ。あなたの敵は、もうなくなった。あなたの子らは、涙にぬれ、ため息と共にあなたの帰りを願っている”」と。
 原文では、この「お方」ということばが女性代名詞になっていて、マリアのことを指しています。それは、まぼろしの中にみたあのふたりの天使の持ってきた旗が、一つに「けがれなく宿られたきさき」、もう一つに、「キリスト信者の助け」と書かれていたことからでもわかりました。そのまぼろしの中で、教皇は、よろこんでその旗をうけとりましたが、自分のまわりに残っている人があまりにも少ないのを見て、悲しむのです。すると、あのふたりの天使はいいました、「全世界の人々にくいあらためを呼びかけ、子どもたちに教理を教えるように全力をつくしなさい」と。
教皇がローマに帰ってみると、その人口の大部分は地上から消えていました。教皇は、そのことを悲しみますが、聖ペトロ大聖堂に入ってゆきました。大災難が終わったことを感謝するためです。やがて、教皇がテ・デウム(感謝の賛美歌)をうたいはじめたとき、かってのベトレへムと同じことが起きたのです。大勢の天使たちが、うたいはじめて、「もっとも高いところに神に栄光、地には善意の人々に平和」というのが聞こえました。
 この予言のまぼろしを見てまもなく、ドン・ボスコはこういっています、
「教会の勝利は確実です。もしわたしたちが地上でこれに参加できないとすれば、天国から参加するでしょう」と(大伝第10巻59-68ページ)。
*デルコル神父著「天の声」、ドン・ボスコ社、1949(昭和24)年発行、70-94ページに、この二つの予言の本文とその注解が紹介されています。
 聖人のこのことばで、この大天災が、あの時代において、すぐに起きるのでなく、ずっと後に起きることがわかります。