'89・9・15 

それから寝に行き、それは十一時過ぎでした。私は一心に祈り、この恐ろしい言葉「眠り」に負けてしまうまで、何とか二、三回キリエ・エレイソン、クリステ・エレイソン* と言うことができました。その時突然、「まことにあなたを助ける!」という、驚いて飛び上がるような大きい声が、私の中で聞こえました。 夜中に二、三回うちなる声が私のために絶え間なく祈っているのが分かり、ときどき私もその声に合せて祈ってみました、意味はよく分かりませんでしたが。 (次の朝)
 *「主よ、憐れみたまえ、キリスト、憐れみたまえ」という意味。ローマ式典礼ミサの初めに、悔い改めの部分でくり返し唱えるわずかに残るギリシア語の祈り。(訳注)

ヴァッスーラ、あなたにもっと期待している ♡ 私にさらに与えてくれるか?

エス、お好きなもの何でも持って行って下さい。

いのちさえも?

私のいのちはあなたのものです。

花よ、愛ゆえに苦しみを与えよう。 覚えておくように、苦しみを経て 聖となる。 今度は聖書から読ませなさい ♡ (ヘブライ書3・1〜6) 私から離れないように、忘れないでほしい、私は全く忠実な者、そこで私に信頼していなさい、抵抗しないで、自らをすっかり明け渡すように、あなたの霊魂にとって何が最良かを知っている。 私は愛 ♡

ヘブライ書3・1〜6
では、天のお召しを受けた聖なる兄弟たちは、われわれの宣言する信仰の使徒であり
大祭司であるイエズスに心を向けよ。モーゼが神のすべての家に忠実であったように、
ご自分を立てられたお方に対してイエズスも忠実である。家を建てる者の方が家自体よりも
誉れがあるのと同様に、キリストはモーゼよりも大なる栄光を受けるにふさわしい者とされた。
家には必ずそれを造る人があるが、万物を創られたのは神である。モーゼは将来語られることを
証明するために、管理者として神のすべての家に忠実であったが、キリストは子として神の家に
忠実であった。私たちが確信と希望の誇りを最後まで固く守るなら、その家は私たち自身である。