王たるキリストの大祝日 前晩


王たるキリストの大祝日に唱える祈り 免償付

イエズスの聖心に人類を献げ奉る祈

人類のあがない主にましますいとも甘美なるイエズスよ、
うやうやしく主の祭壇のもとに ひれ伏し奉るわれらを顧み給え。
われらは主のものなり。また主のものたらんと欲す。
されどもなお固く主と一致するを得んため、
いまおのおの進んで、至聖なる聖心に身を献げ奉る。
人々のうちにはいまだ主を知られざるもの多く、
また主の御戒めを軽んじて主を棄て奉りしもの多し。
いとも慈悲深きイエズスよ、これらの者を皆あわれみ給いて、
ことごとく主の聖心に引き寄せ給え。
主よ、こいねがわくは、かつて主を遠ざかりしことなき信者に王たるのみならず、
主を離れ奉りたる者にも王たり給え。
かれらをして困苦と飢餓とに滅ぶるを免れしめんために、
早く父の家に帰らしめ給え。異説に迷わされし者、
あるいは不和のために主を離れし者にも王たり給え。
かれらをして、真理の港と信仰の一致とに帰らしめ、
やがて一人の牧者、一つの群となるを得しめ給え。
回教及びその他異教の暗にさまよえるすべての人々にも、王たり給え。         ↓*
御国の光へかれらを導くことと拒み給わざれ。
なおまた久しき間、主の選民たりし者の末をも、あわれみの御眼もてみそなわし、   
かつてかれらが、おのれに懸(かか)れかしと祈りし主の御血を、
願わくは、救霊と生命との慈雨として、今もかれらの上に下し給わんことを。     
主よ、主の公教会には無事と安全なる自由とを賜い、
万民には秩序ある平安を賜いて、地の両極の間に、一つの声のなり渡るを得しめ給え。
すなわちわれらに救かりを与え給う天主なる聖心の讃美せられ、
世々に栄えと尊崇とあらせ給えかし。   アーメン。

すべての人の心の王たるキリストに向う祈

主、イエズス・キリストよ、われは主を宇宙の王と認め奉る。
一切の造られしものはみな主のためなれば、願わくはわが上に主のすべての権能を行使し給え。
われここに洗礼の約束を新たにし、悪魔とその業とその栄華とを棄て、
よき信者として活くることを誓い、特に天主と、主の公教会との権利が勝利を得んために、
わが力の及ぶ限り尽さんことを約束し奉る。
イエズスの聖心よ、われはすべての人の心が主の聖なる主権を認め奉り、
主の平和の支配が全世界に及ぶを得んがために、わが貧しき業をことごとく献げ奉る。  
アーメン。

(公教会祈祷文 カトリック中央協議会編 中央出版社発行)
信徒通信の表紙の典礼歴欄では、*ここの3行が抜けておりました。大変、申し訳けありませんでした。

王たるイエズス・キリスト 一級大祝日


ピオ十一世教皇は1925年の聖年の記念として、1925年12月11日付回勅をもって、
キリストの普遍的王制の祝日を定め、1926年から祝うことになった。
典礼暦年の終わりに、公教会は、天の諸聖人の祝日を行い、煉獄の霊魂のために祈る。
あたかもこの頃に定められている王たるキリストの祝日は、
キリストの神秘的体という大いなる真理を黙想させるのである。
「主、王の王」(ピオ十一世の言葉)なるキリストは、
天地万物をさばき、すべてを一つに結ぶために、
光栄をおびて再臨し給うであろう。

主日のミサ典礼書』より ドン・ボスコ社 昭和三十九年度版