祝 イエズスの聖テレジア乙女教会博士の記念 (アビラの聖テレジア)

アビラの聖テレジア著『完徳の道』『小品集』から抜粋

「哀れな、みじめな罪人よ、なにを悲しんでいるのか。私はあなたの神ではないか。私があそこでどれほど背かれているか、あなたには分からないのか。私を愛しているなら、私に対して犯される罪をどうして悲しまないのか。」1572年5月 アビラにて(霊的報告 特殊な恵みについての報告 21)
 
ああ主よ、わが子を、しかもあのように立派な子を私どもに与え、あの苦しい目にあわせ、その上まだかれが私どもの間にとどまって毎日苦しむのを承知しようという父親がいったいあるでしょうか。確かにありません、主よ、あなたのおん父ででもなければ!本当にあなたはどなたに対して願っておいでになるかをよくご存知です。ああ、なんと大きなおん子の愛!なんと大きなおん父の愛!でもよきイエズスについては私はそれほど驚きません。「み旨が行われますように」とすでにおおせられた以上、あのようなお方らしく、それをお果たしになるべきでしたから。そうです。かれは私どものようではいらっしゃいません。おんみずからのように私どもを愛することによって、おん父のみ旨を果たすのだということをご存知で、たとえそのため、ご自分が苦しい代価を払おうとも、どうしたらそれを一番完全に果たせるかを、あくまでお捜しになったのでした。けれども永遠のおん父よ、あなたはまあどうしてそのようなことを承諾なさったのでございますか、どうしてこれほど悪い者の手のうちに毎日おん子を見ることをお望みになるのですか。すでに一度、あなたはそれを許し、承諾し、そしてその結果おん子がどのようにお扱われになったかをごらんになりました。それなのに、どうしてあなたの愛ふかいみ心が、毎日、そうです、毎日—おん子が侮辱されるのを見ておいでになられるのですか。ああ今日どれほどの侮辱が至聖なるご聖体に加えられていることでしょう!それがなんと多くの敵の手に落ちるのをおん父はごらんにならなければならないことでしょう!あの異端の人びとからの不敬の数々!(第二十三章 3)

聖人がたの祝日にはかれらの徳について考えて、あなたにもそれを下さるよう聖主(みあるじ)にお願いなさい。(69の勧告 56)

あなたはただ一つの霊魂しか持たないこと、ただ一度しか死なないこと。短くて、あなた一人のものであるただ一つの生涯しか持たないこと、それから、ただ一つの栄光があってそれは永遠であることを記憶なさい。そうすればあなたは多くのものから離脱するでしょう。(69の勧告 68)

あなたの望みは神を観ること、あなたのおそれは神を失うこと、あなたの悲しみは神を所有しないこと、あなたの喜びは、あなたを神のほうにあげる助けとなることについてでありますように。そうすればあなたは大きな平和のうちに生きるでしょう。(69の勧告 69)