聖ベルナルド著『聖母の歌手』より

第一章 受胎告知 p140~142
神にとって不可能な言葉はない〕

 
だが、マリアよ、お気を付けになってください。天使の口からお聞きになった[御言葉の受肉の神秘に関する]これらすべての素晴らしいことの実現を、絶対に天使ガブリエルの力量に期待してはいけません。では、だれに期待せねばならないのでしょうか、とお尋ねになるのでしょう。マリアよ、天使の言うことをお聞きなさい。「神にとって、不可能な言葉は何一つもありません」(ルカ1・37)
天使はこう言っているかのようです—マリアよ、わたしがこれほど確信をもって、あなたにお約束する事柄なのですが、その実現は、わたしの力量では絶対にできないのです。ただ、わたしをお遣わしになった神だけが、その全能だけが、実現を可能にすることがおできになるのです。なぜなら、「神にとって不可能な言葉は一つもない」からです。そうでうとも、天地万物を、ご自分のお言葉によってお造りになった神にとって、どのお言葉が実現不可能だと言えるのでしょうか。
天使が使った言い方の中で、わたしにとって一番印象的なのはまさに、彼が、神にとってはいかなる行いも不可能ではない、と言う代わりに、神にとってはいかなる言葉も実現不可能ではない、と言っていることなのです。
天使は計画的に「言葉」という表現を使ったのではないでしょうか。その理由はこうだとわたしは思うのです。すなわち、人間にとっては、自分が望んでいることを、言葉に出して言うことはやさしいのです。たとえ望んでいることを、絶対に実現できない場合だってそうなのです。これと反対に、神にとっては、人間が、ただ言葉に出して言うだけで、実際には自分の言うことを実現できないことでも、やすやすと、しかも比較にならないほどやすやすと実現できるのです。
もっと詳しく、ご説明いたしましょうか。もしも人間にとって、自分が望んでいることを、言葉に出して言うのと、それを実現するのが同時に可能であるのなら、いかなる言葉も、人間にとっては実現不可能ではないと言えるはずです。ところが、ことわざにもあるとおり、言うことと、成すこととはそれぞれ別物なのです。しかし、それはただ人間についてだけ言えることであって、絶対に神については言えないのです。
神にとって、しかもただ神にとってだけ、成すことと言うこととは、全く同じものなのです。更に神にとって言うことと、望むこととは、全く同じものなのです。だから、本当に神にとっては、不可能な言葉は一つもないわけなのです。
ここに事柄を一つ申し上げましょうか。預言者たちは、一人の処女が、または産まず女が、身ごもって、子供を産むことを予見し、予告することはできました。しかし、その受胎、その出産を、実現させることはできなかったのです。預言者たちに、先見の能力をお与えになった神だけが、ご自分のお望みになることを、預言者を通して、いともたやすく告知することがおできになったのです。その上、ご自分がお約束になったことを、お望みの時、お望みの瞬間に、ご自身で実現することが、いともたやすくおできになったのです。
実際言って、神にとっては絶対、言行不一致というものはありません。神にとっては、望むことと、言うこととは、同じものなのです。神は真理だからです。神にとっては、言うことと、実現させることとは、同じものなのです。神は全能だからです。実現と、実現の様式との間には、絶対に不一致がありません。神は永遠の知恵だからです。このように、神にとって実現不可能な言葉は一つもないのです。

聖ベルナルド著『聖母の歌手』山下房三郎訳(あかし書房)から