'88・8・3

ローマ教皇にお会いしました。使命の一部が達成されたのです。
パパさまの謁見のために急いでヴァチカンに行きました。私たちは列をつくって中に入る最初のほうでした。一時間後に進むことが許されたのですが、混雑の中でジェームズ神父と離ればなれになってしまい、神父は八千人から一万人もの人びとの間に消えてしまったようでした! 私の前にいらっしゃると思い、夢中で追いつこうと走って行ったのですが。広場の中では、衛兵が人びとをそれぞれ違った方向に誘導していました。ジェームズ神父が見つからないので一人の衛兵に指図されるままドアの中に入って行きましたが、五分後にジェームズ神父が隣りに現れた時は非常に驚きました … 席はホールの端から五つくらい離れた所で、通路に面していました。出ていかれる時パパさまはその通路を通られるはずです。謁見の間じゅう、頭の中はパパさまが私の手からメッセージを受け取られなかったらどうしよう、という思いでした。私は名前とスイスの住所を書いておきましたが、神が他のすべてと同様、この問題もどうにか解決なさるでしょうと信じて、二人とも大変落ち着き、リラックスしていました。ついに謁見が終わりました。私たちは通路沿いに陣取りましたが、非常に多くの人たちに押されていました。皆が大変興奮する中、パパさまが数歩離れた所まで来られた時、私はジェームズ神父に大声で頼みました。「私のハンドバッグを開けて。小さなポケットにはメジュゴリエで聖母が祝福されたロザリオが入っているので、それを取り出し、掲げてちょうだい」ジェームズ神父は理由を聞かずに直ぐ、そうして下さいます。神父には、パパさまがもし手で私のメッセージを受け取られなかったらパパさまのベルトに差し込むと伝えました。パパさまは面と向かって前におられ、私はパパさまに届くよう腕を延ばしました。メッセージをお渡ししようとするとパパさまはそれが紙だと指で感じて、メッセージの上に手を持って行かれ、私の手の上にパパさまの手を置かれます。そこでもう一度試みましたが同じで、パパさまは指で私の指に触れ、手を重ねられ、それから遠く離れて行かれたので私は使命を失敗したかと思いました。そのとき突然覆いかぶさるように後ろから一人のポーランド人の神父がパパさまをお呼びしたのでパパさまは再び一歩下がって私の前に立たれました。その機会を捕えてメッセージを帯に差し込みましたが、その間ジェームズ神父は話しておられました:「私たちは司祭のマリア運動から来た者です」(けれどきっとパパさまはジェームズ神父の声が聞こえなかったでしょう)そして私はメッセージが飛び出し過ぎていると思い、ちゃんと挾まるようにまた手を伸ばしてそれを軽くたたきました。こうして、使命の一部を果たしている間、私は身をすっかりそこから退いたような感覚になりました。群衆の声は消え、押しつぶされそうになっている感じもなければ、パパさまに従う方たち自身が導いて下さっているかのように、一人のポーランド人神父が私の腕を取って支えて下さったのも感じませんでした。私たちはすっかり高揚した気持でそこを去りました。パパさまの随員である写真家が、まさにその瞬間を撮っていました。私がメッセージをパパさまのベルトに入れていてポーランド人の神父が腕を支えて下さっているその瞬間を。