'88・3・17

♡ ヴァッスーラ、私が最初に呼んだ時のように我が声に耳を傾けなさい。 あなたが生まれるはるか以前から私に仕えるように多くの者を呼んだ、そう、まだ恵みが歓迎されていた徳の高い日々だった、みじめな霊魂を呼ぶと 彼らは呼んだのが私、神なる救い主であることを決して疑わなかった、周りの人びとも今日のように彼らを疑わなかった、あなたの時代は ヴァッスーラ 死んでいる、私の今日のわざを弾劾し この荒野をひろげて 砂漠をつくってしまった、私の血はあなた方の心を灌漑し 我が光のうちに生きられるようにと流された、ああ 被造物よ この血は空しく流されたのか? この時代は言う:「耳を貸すな、あなたの聞いている声はまさしく悪魔の声だから耳を塞いでしまいなさい」 ♡ 私が霊的直観を与えて祝福した人たちを、今日私の家からの、私自身の者たちは嘲り 落胆させている、彼らは簡単に私を見放し 有罪を固く決意し、恵みを拒んでは自分で気づかなくても 私を人びとの前で陥れている ♡ 私の祝福が歓迎されていた時、これが私自身の者たちが 呼びかけを伝えた者たちに言う言葉だった:「耳を開きなさい 息子よ、あなたの神がまさしくお呼びかもしれない♡」 私に創られた者たちはサムエルへの呼びかけ* を再び読むように ♡ その時代は恵みが歓迎された徳のある日々だった ♡ 今日も、以前のように、あなたがた被造物にこう言えるとよいが:「わずかな信仰しかない時代よ」と、しかし今日はこう言うしかない:「ああ 信仰の全くない時代よ!」
娘よ、疲れた、あなたの心に休ませなさい、子よ、
 *サムエル記上3・8―9。
ああ おいで下さい、主よ!
♡ 「私たち」?
はい、主よ。 (イエスは本当に悲しそうで、疲れ果てたご様子です。)
書きなさい、
はい 主よ。♡ 神は悲しんでおられます、あまりにも多くの人が神より悪魔を先においているからです。アビラの聖テレジアもおっしゃっています:「私には、〈ああ 悪魔、悪魔よ!〉といって怖れる気持が理解できない。むしろ、〈神よ、神よ!〉と言って悪魔を震え上がらせることができるのに」。今日はこういったことがいっぱい行われ、悪魔を先においてしまっているのです。また一方、嘲ってこう言う人たちもいます:「行って調べてもらいなさい。今日はいい医者がいますからね」。あるいは、超心理学の知識を自慢し、神からの呼びかけはもう時代遅れだと見なす人もいる。しかし、神のみ前に一番よくないのは:偽善です。はい、とも いいえ、とも言わない外交的な答えで、ピラトがしたように、主に対し、自分たちの手を洗うだけなのです。なぜだか分かるでしょうか? 信仰が欠けているからです。