'87・7・3

エス

私です。 愛する者よ、葉に露の雫が宿るように、霊感は私から沸いてくる ♡ 私は あなたに忠実であると、約束し、あなたも私に忠実でいられるように 手を尽くした、見たであろう* ♡

*イエスは、私がどんなに弱いかをご存じで、私が逃げてしまわないように手を打たれました …

ヴァッスーラ、私のために、我が教会を一致させてくれるか?

私はあなたの前にいる そして指図を与えるのは私、ただついてきなさい ♡ 私は 全教会に一致してほしい ♡ 司祭たちには私の今までになし遂げたわざと 使徒たちの持っていた素朴さとを思い出してほしい。 初代教会のキリスト教徒の身につけていた謙遜と忠実の心を ♡ 来なさい、心の最も内奥の望みを打ち明ける、あなたのうちにそれを刻印させてほしい 小さな者よ ♡

このとき、本当に絶望的な感じがしました。主は、望んでおられる非常に多くの重要な事柄を語られ、書き下ろさせておいでですが、私は麻痺したまま、その上にあぐらをかいています。主のお望みを果たしていないように感じています、何も変わっていないのですから。しかし、どう変わり得るでしょう。本当にこういったことを誰も、殆んど何も知らないのですから。私は主に逆らい、最も望まれていることをしないで、主の機嫌を損ねているように感じます。これをジェームズ神父にはお見せしましたが、神父さまもそれを読んで助言すること以外、何ができるでしょう。イエス?(百人以上の人がこれらの啓示のコピーを持っています。けれど、それは十分ではありません!)

♡ 私です、平和に生きなさい ♡ 私が我が教会を復興する、私の言葉を ヴァッスーラ あなたの上に記すことだけをさせてほしい、愛している、私も愛して 我が誉れとなりなさい、教会を一致させるのは私の仕事です、あなたは 私を運ぶ者となるだけです、違いが分かるか? 私の教会を刷新しなさいとか、一致させなさいと言う時でさえ、ヴァッスーラ、それはあなたに直接向けられたものではまったくない ♡ 今に 分かってこよう、私とともにする仕事が一部だけでも分かってきたであろうか?

はい、主よ、分かってきました。

今に分かろう*  ♡ 一つ質問がある。 どうして今しがたは 慰めてもらいに来なかったのか?

 *長い間が空きました。主は、「一つ …」と言われるまで、紙の上に手をおかせたまま、しばらく何もおっしゃいませんでした。

そう、その通り、そうです* ♡

*たった数秒間でしたが、イエスは一つの霊的直観とその陰にある事情を、すべて一瞬のうちに下さいました。ちょうど、譬(たとえ)話のように。それは一人の子どもとその母親のものでした。母親は長年、その子どもを見失っていました。が、ついに見つけた時は大喜びで子どもの望むものは何であろうと願うように、教えようとしました。その子を愛し、自分の子どもでしたから。子どものほうは、母親だと言って、気にかけてくれてもその人に、またもと通り懐(なつ)くのは大変困難でした。その子はそれまで誰にもかまってもらえなかったので、自分のみじめさを自分で呑み込んでしまうことに慣れていたのです。そこで、今度も、その子どもを助け、慰めを与えることができるのは、その母親だということを忘れてしまったのです。与えられたヴィジョンとは、その小さな子どもが再び完全なみじめさの中にいて、お母さんのことを無視して家の中をめそめそと歩き回っている、というものでした。母親はその子どもがみじめさの中にいるのを見て、心を痛めています。わが子がそれほどみじめでありながら、まだ母親のもとに来て、愛情の必要を訴えながら、腕の中に飛び込んできてくれないことに心が痛んだのです。その子どもが母親を信頼さえしてくれるなら、どんなに力となってあげられるか知れないのに、そういった母親も無視して、子どもがみじめでいるのを見て、母親の心はすっかり打ちひしがれています。
その子どもとは、私でした。母親とはイエスだったのです。
そして、こうなってしまったのは、全て(を八方塞がりに感じて、メッセージのことが肩に重くのしかかっているのに、殆んど何もなす術(すべ)がないからでした。私は忘れてしまうために、そのまま寝てしまうことに決めました。そして、これは午後のことでしたが、忘れようとして布団に入りました。イエスを思い浮かべましたが、面と向かうことができないほど、みじめな気持ちでした。

愛する者よ 私はあなたの慰め主! 頭をもたれかけるように、あなたの頭を撫でて痛みを和らげる許しがほしい、耳もとで私の言葉を囁かせてほしい。 私の心の中には場所がとってある、よそで時を過ごさないで、さあ 与えた場所に来なさい* ♡

 *主は、神さまにしかおできにならない優しさで、こうおっしゃいました。

私には力がありません …

私があなたを引き上げ そこに据える ♡