『信徒通信』第48号 聖母欄に掲載いたしました

『聖母から 最愛の子 司祭たちへ』司祭のマリア運動 日本
#412 第一の災害の天使 ファティマ最後のご出現記念日 1989年10月13日

 太陽の奇跡のあった1917年10月13日の、わたしの最後の出現のことを、あなたたちは、今日、記念しています。主の偉大な日が訪れるまえに、教会と人類とを準備させる役目のある太陽に包まれた婦人を、よりいっそう仰ぎみなさい。
 決定的な戦いの時がきました。大艱難の時がこの世に下ったのです。なぜなら、神の天使たちは、その持っている災害で地を罰するためにつかわされるからです。
 五感の犠牲と邪欲の制御、慎み深さ、よい手本、潔白と聖徳の道を歩むようにと、わたしは何回も呼びかけたのです。しかし、人類は、わたしの呼びかけを受け入れず、不潔の罪を犯さないようにと命じている神の律法の第六戒に背きつづけたのです。
 それだけではありません、この罪をほめたたえて人間的な価値として、また、自分の個人的な自由を行使する新しい方法として、紹介するまでになったのです。こうして、今日では、不潔のすべての罪を正当化するほどになりました。まず第一に、少年と青年たちの良心を堕落させて、自分ひとりで犯した不潔な行為は、もう罪ではないという確信を教え込んだのです。また、婚約者同志の結婚前の関係が許されるどころか、善いものであることを説き、家族は自由にふるまうことができ、出産をさまたげるために人工的な手段を利用してもよいという確信を教え込んだのです。自然に背く不潔の行為を正当化し、ほめたたえるほどにいたったのです。それだけではありません、同性どうしの共同生活を、家庭と同じものと認める法律までも提案するほどになったのです。
 不道徳、不潔、猥褻は、印刷物とすべての広報機関によって、今日ほどたえず宣伝されたことは今までになかったのです。特にテレビは、毎日猥褻な場面を映して爆撃のような悪の恐ろしい手段となったのです。その目的は、すべての人の知恵と心の清さを堕落させることをねらっています。娯楽の場、特に映画館とディスコは、人道的、キリスト教的尊厳を公に汚す場所となったのです。

 肉欲の罪をもって、ひきつづき公に、わたしたちの主である神を侮辱する時がこれです。すでに、聖書の中で、肉で罪を犯すものは、同じ肉でふさわしい罰をうけると忠告されています。こうして、第一の天使が神の命令に従って、罰を与えるために世界を訪れるときがきたのです。
 —第一の災害の天使は、額と手に獣の印を受けるのに承知し、獣の像を礼拝した人々の肉に、ひじょうに苦しい悪性の傷をきざむのです。この傷をうけた人は、失望のあまりに叫ぶようになります。この傷は、不治の悪性の病で、体におそいかかる苦しみを示しています。苦しい悪性の傷とは、無神論によって唯物的な文化をつくり、快楽を探すことを人間生活の最高の目的とする今日、これほど堕落した全人類にふりかかる無知のことです。わたしのあわれな子らのある者は、自分たちの不潔な罪と道徳上の無秩序のために、この傷をうけ、行った悪の重荷を自分たちのうちに担っています。他の者は、これと異なって、善良で罪はないにしても、この同じ傷をうけます。この場合、この人々の苦しみは、あなたたちをみな一つに結び合わせる連帯性によって、多くの悪人の救いに役立ちます。
 —第一の災害は、悪性の腫瘍、各種の癌のことです。医学は各分野にあれほど進歩したにもかかわらず、何もできないのです。これらの病気は、ますます広がり、人間の体を傷つけ、ひじょうに苦しい悪性の傷をもって破壊します。最愛の子らよ、不治のこれらの病気が全世界にどれほど広がり、そのために何百万の人が死ぬということを省みてごらんなさい。
 —第一の災害はまた、エイズの新しい病気なのです。この病気は、特に麻薬、悪徳、自然に背く不潔の罪の罰のぎせい者となるわたしのあわれな子らにおそいかかります。

 あなたたちの天の母は、人類が第一の災害に傷つけられているこの時代に、みんなのために助けと支え、慰めと希望となりたいのです。このために、断食と苦業と償いの道を歩むように、わたしは呼びかけます。
 —少年たちに、潔白の徳のうちに成長し、このむずかしい道において親と教育者たちの助けをうけるようにと、わたしは願います。
 —青年たちは、祈りとわたしに一致した生活をもって、邪欲をおさえることをならうようにお願いします。また、映画館やディスコに行くのを止めるように願います。なぜなら、そこに、わたしの汚れなき心がこれほど受ける美徳を犯す重大な絶えざる危険があるからです。
 —婚約者に、結婚前のすべての関係を慎むように、わたしは願います。

 —キリスト信者の家庭には、結婚生活における貞潔を守るように養成され、命を妨げる人工的な手段を決して使わないように、わたしは願います。このようにしなければならないのは、キリストの教えによることであり、教会は今日も、照らされた知恵に従って、みなに教えるのです。
 司祭たちが、独身生活を細心の注意をはらって守り、修道者は貞潔誓願を忠実にきびしく守るように、わたしは願います。
 苦しい悪性の病気の第一の災害にかかったわたしのかわいそうな子らに、わたしはあわれみ深い母として力づけ、慰め、希望と平和をもたらしたいのです。これらの人々に、わたしは、自分たちの苦しみを、つぐないと清めと聖化の精神で捧げるように願います。とくべつに、これらの人々のために、わたしの汚れなき心は、最も歓迎する避難所となり、救いと喜びの神にみちびく安全な道となります。わたしのこの天的花園に、すべての人は慰めとはげましをうけ、わたし自身、かれらの苦しみをやわらげるために、そして、神のみ旨ならば、癒しの恵みを与えるために、愛にみちた世話をひきうけます。
 したがって、人類がこの第一の災害にみまわれるこの時に、慰めと助けとを得るために、あなたたたちの天の母であるわたしを仰ぎみるようにと、みなに呼びかけるのです。