聖マキシミリアノ・マリア・コルベ司祭殉教者の祝い日


けがれなき聖母への奉献の祈り(聖コルベ)
聖母へ近づけば近づくほど私たちは聖なる者となります。神の母である聖母マリアはすべての恵みの仲介者であり、神の働き手であります。
悪魔は私たちが聖母に近づけば近づくほど、彼女の御手から多くの恵みをいただくことを知っています。それで悪魔は、どんな犠牲を払ってでも私たちを聖母から引き離そうと躍起になっています。それゆえ何かにかこつけて誘惑をしかけてきます。悪魔は、神が聖母を通して恵みを与えるという方法を設けられたことを知っていて、また悪魔は霊魂がもしこの方法を用いなければそんなに多くの恵みを受けないということも知っています。ですから私たちは、嫌悪を感じても、あるいは暗闇の中にいても、あるいは光の中にいても、常に聖母を経由して前進しましょう。大切なことは、私たちの生活がいつも、聖母によって、聖母と共に、聖母のうちにあるようにということです。
M.コルベ神父のことば集『無原罪の聖母』から

聖クララ乙女修道院長の祝い日

聖人の取り次ぎを、お願いいたします。

司祭のための祈
永遠の司祭にましますイエズスよ、願わくは主の聖心を御身のしもべなる司祭らの避難所となし給え。かしこにては何人もかれらを害うこと能わず。願わくは日々御身の尊き御体に触るる司祭らの手をく保ち給え。御身の尊き御血に染まるくちびるを汚れなく護り給え。
願わくは御身の輝かしき司祭職のいみじき印もて、しるされし司祭の心を清く汚れなく護り給え。御身の尊き愛もてかれらを護り、世の悪習を免れしめ給え。願わくは豊かなる御恵みの果実もてかれらの働きを祝し、かれらに委ねられし霊魂は、地上にてはかれらの喜び、慰めとなり、天上にては永遠に輝やけるかれらの冠とならんことを。 アーメン。
(公教会祈祷書p265~266)

聖ラウレンチオ助祭殉教者の祝い日

教皇のためにする祈

我らの教皇ベネディクト16世のために祈らん。主願わくは、教皇を守り、かつながらえしめ、この世において幸いならしめ、敵の手にわたし給わざらんことを。汝(なんじ)は岩(ペトロ)なり。我この岩の上に我が教会を建てん。
祈願 すべての信者の牧者、かつ主宰者にまします天主、主は御摂理によりて主のしもべなるベネディクト16世を教会の牧者として、これを司どらしめ給えり。願わくは教皇の上に御慈悲をたれ、その教訓と模範とによりて、すべての信者をますます善徳に進ましめ、委ねられたる群れと共に、永遠の生命にいたるを得しめ給え。我らの主キリストによりて願い奉る。    アーメン。
(公教会祈祷書p259~260)

十字架の聖テレサ・ベネディクタ(エディト・シュタイン)乙女殉教者の祝い日


エディト・シュタインの祈り (1940年6月)
聖母文庫『エディット・シュタイン Love is Strong as Death』より

永遠の平和は
あなたの御心の内に住む、
あなたはその平和を
すべての人の心に注いで、
あふれ流れるように
切に願われる、
だがこの世には
迎える入口がない。

あなたの秘めやかな叩きに
人々は耳を傾けない、
それゆえあなたはハンマーで
叩かなければならない。
長い夜が去って初めて
朝は来る、
吹き荒ぶ非情の風の中に
あなたの御国は誕生する。

オリーブの山で
血の滴る不安の汗が
切なる嘆願をこめて父と戦われ、
勝利された、
そこにこそ世界事件は決定した。
その大地にひれ伏して
礼拝せよ
もはや問うことなく:
誰が? 私たちは? 何処で? 何時? と。

裁かないように、
私たちが裁かれないために、
事物の外的な輝きは
私たちを皆あざむく。
私たちはこの世にあって
仮象の姿を見る。
ただ創造主のみが
真の存在を知っておられる。

エディット・シュタインの祈り
平和の元后 聖母マリアへの祈り

聖ドミニコ司祭の祝い日

 
聖なるロザリオは、主として、また実際にキリストの祈りと、マリアへの天使の祝詞、すなわち「天に在(ま)します…」と「めでたし…」から構成されていますから、それが信徒たちの第一の祈りであり、第一の信心であったことに疑いの余地はなく、使徒たちや弟子たちの時代から現在に至るまで、何世紀にも亘(わた)って使われているのです。ただし、母なる教会が現在のロザリオの形と、こんにち使われている方法を受け入れたのは、1214年になってからのことでした。ロザリオは、アルビ派(反ローマ教会の団体)や、その他の罪人たちを回心させる力強い手段として、聖処女からそれをお受けした聖ドミニクスによって教会に紹介されました。
 聖ドミニクスがどのようにロザリオを聖マリアからお受けしたかというお話をお聞かせしましょう。その話は、フランス人のドミニコ会神父であり、またロザリオの使徒でもある福者アラン・デ・ロシュの著述した『デ・ディグニターテ・サルテリィ』(De Dignitate Psalteri)『聖なるロザリオの重要性と美点』)という非常に名の通った書物の中に載っています。人々の罪のゆゆしさが、アルビ派の回心を妨げているのを知った聖ドミニクスは、トゥールーズの近くの森に身を隠し、三日三晩不眠不休で祈ったのでした。この間、聖ドミニクスは、全能の神のお怒りを鎮めるために嘆き悲しみ、罪滅ぼしの厳しい苦行だけに打ち込んで過ごしました。この苦行があまりにも激しかったので、彼の肉体は酷く傷つき昏睡状態に陥りました。
 この時、聖母マリアが三人の天使を伴って聖ドミニクスの前に出現され「ドミニクス、この世を救済されるのに、聖なる三位一体がどんな武具をお使いになりたがっておられるかを知っていますか?」とお訊ねになりました。
 「ああ、マリアさま、御子イエス・キリストの隣におられ、常に人間の救いの主となる媒介者でいられるのですから、あなたさまの方が遥かによくご存知でいらっしゃいましょう」とドミニクスは答えました。
すると聖母はこうおっしゃいました。
 「この種の戦いでは、攻撃用の槌(つち)は常に新約聖書の礎石である旧約聖書の霊妙な詩編集なのです*。ですから、これらの頑な者たちに近づいて彼らを説き伏せたいなら、私の詩編集を説いてごらんなさい」
そこで、慰められたドミニクスは立ち上がり、その地域の人々の回心を目指す熱意に燃えて、すぐさま大聖堂へ足を運んだのでした。たちまち、目には見えない天使たちが人々を寄せ集めるための鐘を打ち鳴らし、聖ドミニクスは説教を始めました。
 説教を始めた途端、すさまじい嵐が吹き荒れ、地面は揺れ動き、太陽は雲間に覆われ、雷鳴が轟き、稲妻が光り、皆、恐ろしさに縮み上がりました。それよりもなお、皆が震えおののいたことは、人目につく場所に飾られていた聖母の御絵を眺めていると、聖母が天に向かって両手を三度挙げられ、ここにいる者たちが回心せず、生き方を悔い改めて神の母の保護を求めようとしないなら、神の復讐を下し給えと祈られたことでした。
 こうした超自然現象という手段によって、神は、聖なるロザリオという新しい信心をお広めになり、それを更に多くの人たちに知らせることを願われたのです。
 聖ドミニクスの祈りで、嵐はようやくおさまり、彼は説教を続けました。彼は実に熱心に注意を惹きつけないではおかない調子でロザリオの重要性と価値とを説明したので、トゥールーズの殆ど全住人がロザリオを奉ずるようになり、今までの誤った信念を放棄しました。ほんの短期間で、その町は大改革がもたらされ、人々はキリスト教的生活を始め、間違っていた習慣を捨てたのでした。
聖ルイ・デ・モンフォー著『ロザリオの神秘』第一部、第2のバラ 起源より(p16~18)
* 『教会の祈り』(聖務日課 時課の祈り)では、唱和は、ほぼ旧約の詩編で構成されています。
* ロザリオについて